倦まず弛まず

 

神農氏沒して、黄帝・堯舜氏作《おこ》り、其變を通じて、
民をして倦まざらしめ、神にして之を化して、
民をして之を宜しとせしむ。
……………
人間の心は、まことに奇妙なものであつて、
勿論、亂世が長く續くときは、
亂世に飽き厭ふことは申すまでも無いのであるが、
泰平安樂が長く續き、文化が爛熟すると、これにも飽きるやうになり、
何か事有れかしと思ふやうになる。
然うなると、恐るべき結果ともなるのである。
(公田連太郎『易經講話 五』明徳出版社、1958年、pp.346-348)

 

編集者生活がだいぶ長くなりましたが、
一冊一冊緊張を強いられ、それを持続しなければならず、
経験は生きるけれど、
一冊一冊がどれも、いつも新しいので、
飽きるということがなく、
じぶんの性格を考えてみたとき、
この仕事がことのほかありがたく感じられ、
ほかの仕事であれば、どうだったかと思うことしきり。
公田連太郎の『易經講話』は最終巻、
繫辭下傳に入りました。
諄々と説かれ、これも飽きない。
公田さん曰く、
明治維新のときの五箇條の御誓文
「人心をして倦まざらしめん事を要す」の一句は、ここから出たものであろう。

 

・春光や鎮守の森の陰あえか  野衾

 

「独」ってそういう意味!?

 

朝、コーヒーを淹れるときの隙間時間を利用し、
いまは、
白川静先生の『漢字の体系』を少しずつ読んでいますが、
本家の中国における最初の漢字字書『説文解字』と
ことごとく違って
(と言っていいでしょう)
おり、
目をみはることが多い。
たとえば「独」という字。元の字は「獨」

 

蜀は屬(属)が尾(牝獣《ひんじゅう》)と
蜀(虫《き》は牝獣《ぼじゅう》の性器の形)と相属する形で、
獣の交尾する形であることからいえば、
蜀は牡獣をいう。
蠲《けん》は牡器を縊《くく》り取り、
」に「」[入力してもでてきません]《たく》は牡器を殴《う》って去勢することをいう。
獨(独)とはひとり者の獣をいい、
一般化して孤独、副詞として「ただ」の意となる。
(白川静『漢字の体系』平凡社、2020年、p.331)

 

ふむ。深く感じ入るところあり。
また「独」との関連というわけでもないですが、
「美」という字についても、
白川先生の説明を読んで以来、
女性の後ろ姿を見ると、そうとしか見えなくなった。

 

・地上まで急ぐともなし桜かな  野衾

 

いのちの鈴

 

月曜日はだいたい『帰れマンデー見っけ隊!! 』を見ることが多く、
きのうもそうしていましたが、
このごろは、
コマーシャルの時間がやたらと長いので、
その時は、チャンネルを変えます。
ところが、
パチパチやっているうちに、
おもしろそうな番組にたどり着くこともありまして。
きのうがそうでした。
NHK・BS『国際共同制作 パーフェクトプラネット(4)「気象」』
がそれ。
気象の変化と同調するようにして、
さまざまな動物の美しい姿をとらえていました。
亀の大群とか、跳ねない蛙とか、かたまって筏のように川を下る蟻の群れとか、
つい見入ってしまい、
ふと、
昆虫が好きだった子どものころを思い出しました。
本を読まない子どもが、
ただ一冊、
子ども向けの『ファーブル昆虫記』だけは、
学校の図書室から借りて読んだ。
返してまた借りた。
当時は理由など考えもしませんでしたが、
いま思えば、
さびしい子どもでしたから、
昆虫などの小動物に、
裸で動いているいのちを感じ取ったのかもしれません。
裸のいのちは、
たとえていえば、
小さな鈴が鳴っているようでもあり、
いのちの鈴に耳を澄ませば、
さびしさがまぎれた。
強がりかもしれないけれど、
さびしさのおかげで、
いのちそのものに同調できた気がします。

 

・渓谷の空を見渡し落下かな  野衾

 

玄鳥至

 

七十二候、今週は、第十三候「玄鳥至」つばめきたる。
そういう時期になりました。
ここ保土ヶ谷でも、
たとえばラーメン屋の軒先で目にすることがあり、
飛び回るツバメの姿に季節を感じます。
秋田に住んでいたころ、
この時期になると、
ツバメが玄関から入って来て、
庭の天井にある巣の辺りをホバーリングし始め、
まるで家族が帰ってきたようにも感じたものでした。
気持ちがウキウキし、
理由もなく、
よし! と気合いが入りました。

 

・風光る原始人らの海眼下  野衾

 

カール・バルトの最期

 

さらにそんなに遅い時間に彼と話したいと思ったもう一人の電話の相手は、
彼と六〇年来真実に結ばれてきた
友人のエドゥアルト・トゥルナイゼンだった。
彼らは暗い世界情勢について話し合った。その時バルトは、
「しかし、意気消沈しちゃ駄目だ! 絶対に!
《主が支配したもう》のだからね!」
と言った。
あの電話がかかってきた時、彼は自分の講演の草稿の中で、
教会内ではいつも信仰の先達である父祖たちの語りかけに耳を傾けるべきだ
ということを論じる文章を書いているところであった。
なぜなら、
「《神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である》。
《人はみな、神に生きるものだからである》――使徒たちから、一昨日の、
そして昨日の父祖たちに至るまで」。
バルトは、
文章の途中で中断した草稿を、それ以上書きつづけようとはせず、
続きは明日のことにした。
しかし彼は、その明日を経験することはなかった。
彼は、その夜半のある時点に、誰にも気づかれずに死んでいた。
彼は眠っているかのように横たわっていた。
手は自然に、夕べの祈りの形に組まれたままだった。
朝になってネリ夫人が、モーツァルトのレコードをバックに流しながら、
彼をそっと起こそうとした時、
このような姿で死を迎えた彼を見たのである。
(エーバーハルト・ブッシュ[著]/小川圭治[訳]『カール・バルトの生涯』
新教出版社、1989年、pp.711-712)

 

生前、死んだらモーツァルトに会いたいと言っていた、
それぐらいモーツァルトが好きだったバルトにふさわしい死だった
かもしれません。
享年八十二。
墓地での葬儀で何人かが弔詞を述べたが、
そのなかに、
カトリックの神学者で、
カール・バルトに関する論文の執筆者でもあるハンス・キュンクがいました。
キュンクの『キリスト教 本質と歴史』
の日本語訳が昨年十一月に出版されたので、
バルトとの関連で、
いま読み始めたところです。
こちらの装丁は畏友桂川潤さん。

 

・風光る自転車疾走鳶の声  野衾

 

カレンダー

 

パソコンに向かってこれを書く前に、
机上にある卓上カレンダーと、
トイレ横の壁に掛けているカレンダーを一枚めくりました。
ふと思いました。
若いときは、
月末、31日がある月は31日に、
30日で終る月は30日に、
月を一日先取りしてめくることが多かった。
決めてそうしていたわけではないけれど、
なんとなく、
明日から新しい月が始まる、よし、ガンバロウ!
的な気分から、
まぁ、
せっかちだったんでしょうね。
それがこのごろは、
正しく(!?)月が替わってからめくるようになりました。
若いころの気分がなくなった
わけではありませんが、
それよりも、
月の晦日を楽しもうじゃないか、
の気分が増してきた、
恰好つければそういうことかなとも。
さて、
きょうから四月。
なれど鶯は、まだホー、ホケホケ。

 

・花ぐもり小舟波立て滑りゆく  野衾