倦まず弛まず

 

神農氏沒して、黄帝・堯舜氏作《おこ》り、其變を通じて、
民をして倦まざらしめ、神にして之を化して、
民をして之を宜しとせしむ。
……………
人間の心は、まことに奇妙なものであつて、
勿論、亂世が長く續くときは、
亂世に飽き厭ふことは申すまでも無いのであるが、
泰平安樂が長く續き、文化が爛熟すると、これにも飽きるやうになり、
何か事有れかしと思ふやうになる。
然うなると、恐るべき結果ともなるのである。
(公田連太郎『易經講話 五』明徳出版社、1958年、pp.346-348)

 

編集者生活がだいぶ長くなりましたが、
一冊一冊緊張を強いられ、それを持続しなければならず、
経験は生きるけれど、
一冊一冊がどれも、いつも新しいので、
飽きるということがなく、
じぶんの性格を考えてみたとき、
この仕事がことのほかありがたく感じられ、
ほかの仕事であれば、どうだったかと思うことしきり。
公田連太郎の『易經講話』は最終巻、
繫辭下傳に入りました。
諄々と説かれ、これも飽きない。
公田さん曰く、
明治維新のときの五箇條の御誓文
「人心をして倦まざらしめん事を要す」の一句は、ここから出たものであろう。

 

・春光や鎮守の森の陰あえか  野衾