タイプライターのこと

 

もう四十年も前のこと。勤めた学校の職員室にタイプライターがありまして。
使い方を教えてもらい、
試験問題だったか、
夏休みの課題図書のリストだったか、
とにかく、
用意した手書き原稿をパチパチ打ち込みました。
すると、
ふにゃふにゃだったり、また金釘流の、
けして自慢できないじぶんの文字たちが
立派な活字になって神に、いや、紙に印字されるではありませんか!
あの感動。あの興奮。
文字の世界に初めて受け入れてもらえた気がした。
しばらく忘れていました。
そのことを思い出したのは、
きのう、
わたしの操作が間違っていたのか、
ブログの管理者ページにうまく入ることができなくて、
出社後に会社のパソコンから入ったことがきっかけでした。
わたしにとりまして、
このブログ、
一日の始まりの大事なルーティンでありまして、
「外なる人」は衰えても、
「内なる人」は日々新たにされていく、
そんな感じなんであります。
なんの不具合か、
それがふだん通りできなくなったとき、
あらためて、
日々の習慣がいかに大事であるかということを思い知らされました。
敬愛していた詩人の長田弘さんは、
おっしゃいました、
習慣がふるさとだと。

 

・真人も踏みしふるさとの春山  野衾