カール・バルトの最期

 

さらにそんなに遅い時間に彼と話したいと思ったもう一人の電話の相手は、
彼と六〇年来真実に結ばれてきた
友人のエドゥアルト・トゥルナイゼンだった。
彼らは暗い世界情勢について話し合った。その時バルトは、
「しかし、意気消沈しちゃ駄目だ! 絶対に!
《主が支配したもう》のだからね!」
と言った。
あの電話がかかってきた時、彼は自分の講演の草稿の中で、
教会内ではいつも信仰の先達である父祖たちの語りかけに耳を傾けるべきだ
ということを論じる文章を書いているところであった。
なぜなら、
「《神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である》。
《人はみな、神に生きるものだからである》――使徒たちから、一昨日の、
そして昨日の父祖たちに至るまで」。
バルトは、
文章の途中で中断した草稿を、それ以上書きつづけようとはせず、
続きは明日のことにした。
しかし彼は、その明日を経験することはなかった。
彼は、その夜半のある時点に、誰にも気づかれずに死んでいた。
彼は眠っているかのように横たわっていた。
手は自然に、夕べの祈りの形に組まれたままだった。
朝になってネリ夫人が、モーツァルトのレコードをバックに流しながら、
彼をそっと起こそうとした時、
このような姿で死を迎えた彼を見たのである。
(エーバーハルト・ブッシュ[著]/小川圭治[訳]『カール・バルトの生涯』
新教出版社、1989年、pp.711-712)

 

生前、死んだらモーツァルトに会いたいと言っていた、
それぐらいモーツァルトが好きだったバルトにふさわしい死だった
かもしれません。
享年八十二。
墓地での葬儀で何人かが弔詞を述べたが、
そのなかに、
カトリックの神学者で、
カール・バルトに関する論文の執筆者でもあるハンス・キュンクがいました。
キュンクの『キリスト教 本質と歴史』
の日本語訳が昨年十一月に出版されたので、
バルトとの関連で、
いま読み始めたところです。
こちらの装丁は畏友桂川潤さん。

 

・風光る自転車疾走鳶の声  野衾