持ってはみても

 

それ[音楽、プルーストの『失われた時を求めて』]に比べると美術は、
すでに示唆したよう、「所有」の概念にもっとなじみやすい。
絵はモノであるし、
だからこそ資産運用(あるいは賄賂)の目的で取引されたりもする。
しかしレンブラントを、ゴッホを、若冲を所有しているからといって、
そのうらやむべき所有者は心を本当に満たされているのか。
むしろ所有者であるにもかかわらず、
作品がどうしても内心を自分に打ち明けてくれない、
つまり自分のものになってくれないという焦燥を感じるのではないか。
(岡田暁生『音楽と出会う 21世紀的つきあい方』世界思想社、2019年、p.9)

 

うえの文章を読み、
しばらく観ていない名作『天井桟敷の人々』のあるシーンを思い出しました。
モントレー伯爵の囲い者になったガランスが、
再会したバチストに心が奪われていることを知った伯爵に、
貧しい人からすべて取り上げようとしても
それはできない
といった趣旨のことをガランスは言う。
DVDではなくVHSビデオテープで持っていて、
再生装置もまだ捨てていませんから、
何十年ぶりかでまた観てみようかな?

 

・秋さやか白波たつや伊良湖崎  野衾