水滸伝も三国志演義も若いときには、
切った張ったの
チャンバラみたいなものとして読んだように記憶していますが、
つとめていた会社の倒産や、
仲間と起こした会社のこれまでを振り返りながら
いま『完訳三国志』を読むと、
ひとがひとをつかうときの、
またつかわれるときの要諦とでもいったものが
短く、鋭く、描かれており、
読みすすむ目を一行一行にとどめることがしばしばあります。
岩波の『完訳三国志』は三国志となっているものの、
これは、
正史ではなく羅貫中の三国志演義のほうです。
いまは正史も翻訳されていますが、
日本で三国志という場合は、
演義をさすことが多いようです。
まだ途中ですけれど、
正史から千年以上の時間のなかで醸され、
三国志平話をへて成立した民衆の物語の根本は、
ひとことで言って「義」であるか、
との感想が浮かびます。
・雨模様雲を仰ぎて帰るかな 野衾
空飛ぶ嫁、いや、空飛ぶ夢をたまに見ます。
精神分析にかかればきっとなにかあるんでしょうけれど、
それは措いといて、
夢のなかで空を飛ぶのはなかなかに気持ちいい。
きのうは久しぶりに見ました。
これまで多くの場合、
だいたい山の頂からとかビルの屋上から
とかでしたが、
きのうは、
訪ねていった先の知人宅にて、
それも大勢いる前、
ネタの披露みたいな感じで、
パタパタと宙に舞い上がりそのままホバリング。
そのうち疲れて着地。
人間竹トンボとでもいうんですかね…。
勝手に自己分析すると、
長引いた痛風発作がようやく治まり、
久しぶりに電車で出社し電車で帰宅しましたので、
その気分の良さが夢に現れたのかと、
はい。
・前線のうごき恨めしかたつむり 野衾