体で読む、体が読む

 

・六時過ぎいよいよ寒き雨となる

河瀬幸夫訳『釈譜詳節』中巻の校正校閲が終盤に入りました。
上巻、下巻と来て、
これが全三巻の最終配本になります。
仏教の真髄である法華経が中心となっており、
読むだけでも一苦労です。
河瀬先生、よくぞこれを訳されたと驚きます。
訳稿を十遍見返したというのも宜なるかな。
この原稿を読みながら、
ずっと考えていることがあります。
それは、
分かる、
分からないというのは、
どういうことを指すのかということ。
阿耨多羅三藐三菩提は仏教の悟りの境地だそうですが、
この言葉が原稿に何度も出てきます。
あのくたらさんみゃくさんぼだい。
読み方を知って、
辞書で意味を知る。
でも、
それで分かったことには到底なりません。
ゆっくりゆっくり読んでゆきます。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

加藤楸邨の俳句を口ずさみなどしつつ。
ほんと、
まるで山を登っているようです。
辞書は杖。
と、
目を文字に這わせ、
いわば体を道具として読んでいたのが、
いつからか静かなリズムを刻み、
体で、
ではなく、
体が読む瞬間がおとずれます。
決して分かったわけではありません。
分からなくても面白い。
そういう読み物。
かるく分かったら困ります。

・冬空や校庭の子ら消え失せり  野衾