モーツァルト事始め

 

 薄紫の春のあけぼの見てゐたり

ジャズやロックを夢中で聴いていた頃、
クラシックは最後でいいや、
というか、
自分で楽しんで聴くには、
もっとずっと後だろうと思っていました。
それなのに、
というか予想通り、
この頃、よくクラシックの曲を聴いています。
とくに、朝はモーツァルトの交響楽。
モーツァルトの時代はこうだったろうと考えられる編成で、
古楽器を用いた演奏です。
指揮はクリストファー・ホグウッド。
十九枚セットですから、
一日一枚ずつ聴いても、
あたりまえですが、十九日かかります。
今日は三周目の五枚目。
初めは、どれを聴いても同じようにしか聴こえなかったのが、
馬の顔が、いろいろ見ているうちにだんだん
賢い顔と間抜けな顔の区別がついてくるように、
って例えはいかがなものかとも思いますが、
それはともかく、
好きな曲と普通な曲、
それほどでもない曲ができてきました。
嫌いな曲はありません。
それで思ったのは、
モーツァルトは、
と言うと語弊がありそうですが、
少なくともこのセットを聴いている限り、
体調のいいときには、
さらに心身共に状態をよくしてくれる音楽だということです。
疲れたときや具合の悪いときは聴けません。
体調のすぐれないとき、
あまり天気がいいと悲しくなるように、
この音楽を聴いて悲しくなることもありそうです。
「モーツァルトはあの太陽なのだ!」
と言った作曲家もいたというではありませんか。

 啓蟄や息も和らぐ解れたり

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