餡子たぶ餅たぶ耳たぶケーキたぶ
現代の求道僧的医学者とでもいうべき甲田光雄先生が推奨し、日本に古くから伝わる民間食養生を今によみがえらせた東城百合子先生も薦めておられる玄米粉クリームをいただくようになって半年あまりが過ぎた。
ミルサーで粉末状にした玄米粉を片手鍋に入れ水といっしょに煮立たせ蒸らせるだけなのだが、玄米を煎ってからやると香ばしくて、なんとも美味い。栄養満点。世界最強のファストフードだと力説される方もおられる。
また、尾篭な話で恐縮だが、便通も良い。今朝など1尺以上の長さのものがスルリポンと出た。トイレ内に芳香が漂う。紙で拭いてもほとんど痕が残らない。快食快眠快便とは、まさにこのこと!
蟹なのに蟹の味せず廻り寿司
ちょっと気になることがありまして。石鹸のことです。使っているうちに小さくなりました。新しいのに替えたのですが、残りカスのようになった前のちっちゃな石鹸が捨てられず、新しいのにペタッと貼り付けました。ところが、次に使う段になると、剥がれて落ちてしまいます。もう捨ててしまおうかとも思うのですが、なんとなく愛しいような気もして、また拾って大きい石鹸にペタッと貼り付けます。こんなことをしているので、かさぶたのようになった石鹸がなかなか無くなりません。皆さんはどうしているのでしょう。
餅菓子を喰ふて物言ふ女かな
きのう雑誌の取材がありまして、小社創業からのエピソードをインタビューされるまま、あれこれ話しました。こういうことがあると、ウチってこんな会社だったんだぁとあらためて確認できます。なかでも、思わず口からペロッと出た“運と縁”は、ほんとそうだなぁと後からしみじみ思いました。ご恩に感謝しの“恩”も加えると、うんとえんとおんで、なんだか、あいうえおみたいになってきます。
人生はリズムだということもあるから、そうすると“韻”。これも大事。
あんはどうする。“暗”だと? 暗い時代でもめげずに明るく元気な出版を目指していこう!ってか。それとも“餡”。みんなアンコが好きだから…。ちょっと変か。だったら“安”。どんな風が吹いてきても、心やすらけく、穏やかに、平常心で仕事をこなしていく、と。
安・韻・運・縁・恩。できた! あん・いん・うん・えん・おん。あはは…。おもしれえ! あいうえお!!
陶酔の涙凍てつくシラケ鳥
月曜日から土曜日まで学校で勉強した分、待ち遠しかったですね。さて、今度の日曜日、なにをしようかな。とくに計画の無い1日というのは、大好きなお菓子みたい。土器の欠片を拾いに行くも良し、弟とキャッチボールをするも良し、川べりのネコヤナギをとりに行くにはまだ少し早いか。なんか買いたいな。服。プラモデル。マンガ。コーヒーならやっぱりネスカフェ・ゴールドブレンド。蜜のような時が降っています。
朝の通勤ラッシュの電車の中、それでなくても人いきれでムンムンしているのに、妙に暖房が効き過ぎていた。しかも立っている人それぞれが吊り革やシート横の背もたれの縁につかまっていたりして、電車の揺れに対し戦々恐々たる面持ちでいるところにもってきて、突如それは襲ってきた。下から!! モワ〜ッ!! ムワ〜ッ!!と。
マスクをしていたのだが、ウイルスに対しては除菌率99.99%を誇るマスクでも相手が臭いでは手も足も出ない。まして、受け流すこともできない。
わたしの前に立っている二人のオヤジのうちの一人なのだが、どちらとも判断しかねた。わたしは体をひねり、二人の顔をまじまじと眺めた。一人は三十代(たぶん)、一人は五十代(たぶん)。どちらも泰然自若、平気の平左を装っている。いや、二人のうちの一人は、わたしの観念などと関係なくいつもの出勤態度なのだろう。
わたしは勝手に右手の口をへの字に歪めた意地悪そうな五十代のオヤジの仕業と勝手に決めた。こいつにちげえねえ!! 朝食ったものが賞味期限切れでお腹をこわし、それであんな腐臭ふんぷんたる屁をこきやがったのだ。それで、口を屁の字に歪めていたのだ!
わたしは息を止め、人並みを掻き分けドアの近くまで行ってから大きく息を吐いた。
暖房車への字のオヤジ放屁せり
すかしっ屁マスク通過し眩暈せり
テレビで新成人を迎えての番組をやっていて、ぽけーっと見ていたら、携帯電話が日本で出始めたのがちょうど20年前だと、メガネをかけた何とかという芸能人の女の子が語っていました。だから、ケータイの無い時代がどんなだったかを知らない、と。へ〜と思いました。確かに、あの頃電車の中などで鞄からおもむろに携帯電話を取りだしこれ見よがしにかけているサラリーマンがいました。隔世の感があります。携帯電話がケータイになり、機械も関係も軽く希薄になったような。
大寒や饅頭食ひたし舌の欲
名古屋への出張の帰り、新幹線の中で食べるつもりでお弁当を買ったのですが、ホームの待合室にある椅子に腰を下ろしたら、なんだかどうにもうどんが食べたくなり、同行の者にカバンを預け財布だけを持っていそいそと歩き出しました。ひらがなで「そば・うどん」と大書された看板を見ただけでヨダレが出てきます。二台の券売機が並んでいてどっちをみてもメニューは同じなのに、動物園の白熊みたいに左、右、左、右、また左へと歩を移し、どれにしようかしばらく逡巡。と、カレーきしめんに眼が停まったとき、ヨダレの量がどっと増したので、これは体がカレーきしめんを欲しているのだと判断し、千円冊を伸ばして投入、エイとボタンを押しました。チケットとおつりをつかみドアを開けます。「きしめんでお願いします」。メニューのところに「カレーきしめん・そば」とあったからです。ややあって出てきたカレーきしめん、近くにあった割り箸入れから一膳抜き取り、食膳の祈りを唱え、ふうふう言いながらやおら箸をつけたのですが、きしめんの程好い柔らかさ、とろけるような豚肉の甘さ、主張し過ぎず、かと言って水っぽくもないカレールー、どれを取っても文句のつけようがありません。思わず、美味い!! と太文字ゴシック体で叫んでしまいました。店員もほかのお客さんもきょとんとした目でわたしを見ています。微笑んでいる方も。わたしには、それがそうだろうそうだろうというふうに映りました。名古屋を訪れるたび、ここで食するのを習いにしているサラリーマンかもしれません。もしそうならば、わたしも彼にならおうと思った次第です。本当に美味かった!!
あ。もちろん、買っておいた駅弁は新幹線の中でちゃんといただきました。これも旨かった。腹が減っていたのかもしれません。そうかもしれません。
メールして孤影深かり寒の月