現実

 子供らのはしゃぐ声せり雪景色
 解放前後の韓国における体験談を記した原稿を読んでいて、過去の現実というのは何かということを改めて考えさせられた。
 起こったことはとり返しようがなく一回性のものだけれど、言葉はもちろん、写真でも絵でも、それが記録される時点で生身の人間を通過する。そこで、起こった現実は、作り出される現実に変成される。実が現れる…。今の現実につなぐためか。(ヤラセは言うに及ばず)
 起きたことは一回でも、一回だからこそ、その意味を改めてさぐり読み返すことが必要なのだろう。現実を見据えて狎れず、何度でも。
 若い友人が安野光雅の『旅の絵本』を見せてくれた。本屋に行くと必ずといっていいほど目につき、なんとなく見た気になって、一度も開いて見たことがなかった。面白い!! へ〜、こんな絵本だったんだ、と思った。ダンテの『神曲』と重ねたりしながらページを繰った。たとえば、そんなかたちで過去の現実は同じものであっても人それぞれに見え方は違うものなのだろう。こちらの変化、成長にしたがって、過去も変化、成長する。また、そのようでありたい。過去は、その意味で、わたしの中に生きている。
 昨日、横浜では朝から雪が降った。賑やかな子どもたちの声が聞こえてきた。事件というほどのこともないこの日を記憶に留める子もいるのかな、と、ふと思った。

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台湾に旅行した友人から送られた写メール