切れ痔

 雪降りて胡麻塩屋根が並びをり
 裂肛ともいうらしい。肛門が裂けるで、裂肛。ふむ。
 三十代のころから、硬い便が出ると(尾篭な話で恐縮!)しばしば紙に血が着いた。市販の薬を塗ったり入れたり、新聞によく広告が載る住所へ連絡し試供品を取り寄せ、塗ったり入れたり、その後、高価な薬を購入し、塗ったり入れたり、そうしたらなんでだか分からないけれど、ブランド物の皿なんかを贈られもしたが、いくら高価な皿をもらっても、痔と皿ではなんの関係もなく、だけでなく、その薬、最初は効いたかなと思ったのだが、だんだん痒みが増し、しゃがんで手鏡をかざして見ると、肛門がたらこ唇のように、また日本猿のように、いや、日本猿に限らず猿一般か、赤くなっているので、すぐに止めた。そうこうしているうちに、また切れたらしく、出血するようになった。
 これではいかんと意を決し、銀座にある専門医を訪ねたところ、指と器具を突っ込み、肛門が三箇所切れているという。要するに、古いゴムホースのようになっているので、メスを入れ肛門を広げましょう、云々。というわけで手術を薦められた。さっそく予約を入れたのだが、そのころ世話になっていた整体師の先生に相談したら、言下に、「気」が止まってしまうので、やめたほうがよいと言われた。古いゴムホースの譬えは分かりやすく合点がいったけれど、一つ納得がいかないのは、わたしの肛門が古いゴムホース状だとして、決定的な違いは、いのちが通っているということ。細胞は一定の時間で総取っ替えするというではないか。
 というような思考をあれこれ経めぐらし、一旦予約を入れた手術を取り止めにした。電話で済ませてもよかったが、申しわけないので銀座まで出向き、直接断りを申し伝えた。
 それからどうなったか。
 前置きが長くなった。練功365日、玄米菜食、鍼灸の三つ巴が功を奏してか、切れ痔が治った。少し硬めのが出て、あ、切れたか、切れたか、切れたのか!? と、恐る恐る紙を持っていくと、切れてない。切れてな〜〜い!! あはは、切れていな〜い!! 失礼。
 これから絶対に切れないという保障はないけれど、さらに気功を続け、ほどほどの玄米菜食を励行し、定期的な鍼灸のメンテナンスによって、いのちある古くなったゴムホースをいたわっていこうと思う。

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