直し

 『ウェブスター辞書と明治の知識人』の著者に再校を送ったところ、初校での朱がほぼ完璧に直っているので感心したとのメールをいただいた。仕事としてあたりまえのことをしただけだが、うれしかった。
 わたしが鉛筆でチェックした箇所、著者が赤のボールペンでチェックした箇所、双方入り乱れており、オペレーターが直してくれたものをわたしが校正し、漏れていた箇所を再度オペレーターに頼んだ。上がってきたゲラを念のためもう一度チェックし、よしOK! となってから、著者に送った。
 細部をないがしろにすると、仕事は上手くいかない。というよりも、細部をていねいに仕上げることで気持ちも落ち着く。仕事をさせてもらっている。

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地名の由来

 保土ヶ谷の黒子の辺りに我れ住めり
 ほどがやは、いまは保土ヶ谷ということだが、かつては程ヶ谷とも表記した。地名の由来は複数説あるそうで、ウィキペディアによれば、最も有力なのは古代、旭区から保土ヶ谷区にかけて広大な榛谷御厨(はんがやのみくりや)が存在し、「はんがや」が「ほどがや」に転訛したという説らしい。
 御厨とは平安時代以来、有力な神社の所領として諸国に置かれた荘園の一種で、榛谷の地を開発した豪族が占有権を確実なものにするために伊勢神宮の神領地として寄進したことから、榛谷御厨と呼ばれるようになったとか。
「はんがや」→「ほどがや」では、少し苦しいような気がしないでもない。
 以前勤めていた東京の出版社で、Y君という大学で日本史を専攻した同僚がいた。Y君曰く、「三浦さんは保土ヶ谷にお住まいでしたよね」「そうだよ」「保土ヶ谷の地名の由来を知っていますか」「知らない」「女性の陰部を陰と書いて、ほとと言うでしょう」「ああ、ほと、ね」「ほとの谷で、ほどがや…」「ほんとかよ?」「ほんとうです」「そういえば、あの辺りに遊郭がかなりあったとは聞いているけれど…」「箱根駅伝のとき必ずテレビに映る保土ヶ谷橋を中心に国道一号線が戸塚方面へ大きく曲がるでしょ。鎌倉街道もそこで交差するはずです。両脇に丘がせり出し、上空から眺めたとしたら、まさにほと」「へ〜。詳しいね」「それほどでも」「それじゃあ、あれか。ほとほと困ったというのは、しものことで悩んだ果てということになるのか」「それは違うと思いますが」
というような珍妙な会話が交わされたことがあった。Y君はとても真面目な男だったから、まったく根拠のない話をしたとも思えない。保土ヶ谷の地名の由来は複数説あるということだから、Y君が言ったのも、その一つであろうか。

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 パナマ帽夕立ばちばち破れ笠
 イシバシと久我山幼稚園へ。由緒ある幼稚園で、園児に茶道などを通して日本文化の粋をわかりやすく伝えている。抹茶をご馳走になり、畳のいいにおいを満喫。園のすぐ傍の公園はもと松平の土地だったらしい。
 外へ出ると、予報どおりの雨が降っていた。耳元で鳴る雨音を聞きながら歩いていると、どこかへタイムスリップして素浪人にでもなった気がした。

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交差点にて

 出社の折、紅葉坂の交差点で青の信号が点滅し始め、足を速めた。反対側から少年が駆け下りてきた。すばやく振り向き、後ろをついてくる母親を急かした。母は、左手で帽子を押さえ、右手をぎゅっと握り締め、少年に遅れまいと真剣な表情で駆けてくる。短めのTシャツからはみ出たメタボリックな白い腹とりんごの芯みたいなヘソが丸見えであることなど意に介さないようであった。

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梅雨明けず

 相模野の学舎ナマ脚行き交へり
 というわけで、仕事の打ち合わせで女子大に行ってきました。女子大というのは、なんだかわくわくしますね。緊張します。眼があらぬ方向に泳がぬように注意し、ひたすら前方を直視しながら歩きました。
 研究室での先生との話し合いは、いろいろな方向に展開し、見えない糸を感じるようで楽しくもあり、あっという間の2時間半。中身については、もう少しハッキリしてから、報告します。

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 梅雨すぎて夏一斉の蝉しぐれ
 休日、気になっていた靴を磨いた。ホーキンス製のもので、これがピタリとわたしの足に合い、以来、二足ずつ買い換えている。気に入ったとなると、なんでもそうだ。この性格、祖父ゆずりかもしれない。
 一度など靴の底に穴が開いたことがある。前や横が剥がれたり破れたりというのはよくあるけれど、底は珍しい。水溜りに入ったわけでもないのに、なぜ、どうしてと、いぶかった。靴底が猫の耳のように薄くなり、透けて見えた。そこからじわりと水が染みてくるのだった。これには驚いた。そこまで穿くかふつう。なんだかその靴がいとおしく感じた。
 磨いた靴をひっくり返し改めて確かめてみた。へなへな感は否めないけれど、まだ買い換えるには早い。靴がフィットすると気持ちまでしゃきっとする。

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マンモスの牙

 春風社のセカンドステージについて、ああでもないこうでもないとこのごろ考えることが多くなった。それをけっこう楽しんでいる。つちかってきたものを踏まえつつ、などと格好をつけても、結局は、どこか切り落とさなければ、新しいことは始められない。始まらない。切り落とす部位を間違えないことが大事か、とも思う。
 まず、あのべろべろ〜とした目録「学問人」をどうするか。出版社にとって何が財産といって、目録に勝るものはない、とはよく耳にすることばだ。既刊アイテムが二百数十点になったことだし、ここはびし〜っと他社に引けを取らぬ目録を作ろう! と、かなり本気で考えた。ところが、先日、編集のクボッキーと都の西北大学へ行き、生協の本コーナーで目録の棚の溢れんばかりの目録の洪水に圧倒され、げんなり、出版社にとっての宝、財産とも言われる「立派な目録」づくりをすっぱりあきらめた。だって、なんだかマンモスの牙みたいなんだもん。コストパフォーマンスが悪過ぎる。じゃ、どうする。ね、どうするの。今、考え中です。
 また例のごとく遊びの虫がうずきだし、アバンギャルドかつ実に変な目録のアイディアが浮かんだのだが、社員から却下されそうで、なかなか口に出せないでいる。さて、どうしたものか。

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