地名の由来

 保土ヶ谷の黒子の辺りに我れ住めり
 ほどがやは、いまは保土ヶ谷ということだが、かつては程ヶ谷とも表記した。地名の由来は複数説あるそうで、ウィキペディアによれば、最も有力なのは古代、旭区から保土ヶ谷区にかけて広大な榛谷御厨(はんがやのみくりや)が存在し、「はんがや」が「ほどがや」に転訛したという説らしい。
 御厨とは平安時代以来、有力な神社の所領として諸国に置かれた荘園の一種で、榛谷の地を開発した豪族が占有権を確実なものにするために伊勢神宮の神領地として寄進したことから、榛谷御厨と呼ばれるようになったとか。
「はんがや」→「ほどがや」では、少し苦しいような気がしないでもない。
 以前勤めていた東京の出版社で、Y君という大学で日本史を専攻した同僚がいた。Y君曰く、「三浦さんは保土ヶ谷にお住まいでしたよね」「そうだよ」「保土ヶ谷の地名の由来を知っていますか」「知らない」「女性の陰部を陰と書いて、ほとと言うでしょう」「ああ、ほと、ね」「ほとの谷で、ほどがや…」「ほんとかよ?」「ほんとうです」「そういえば、あの辺りに遊郭がかなりあったとは聞いているけれど…」「箱根駅伝のとき必ずテレビに映る保土ヶ谷橋を中心に国道一号線が戸塚方面へ大きく曲がるでしょ。鎌倉街道もそこで交差するはずです。両脇に丘がせり出し、上空から眺めたとしたら、まさにほと」「へ〜。詳しいね」「それほどでも」「それじゃあ、あれか。ほとほと困ったというのは、しものことで悩んだ果てということになるのか」「それは違うと思いますが」
というような珍妙な会話が交わされたことがあった。Y君はとても真面目な男だったから、まったく根拠のない話をしたとも思えない。保土ヶ谷の地名の由来は複数説あるということだから、Y君が言ったのも、その一つであろうか。

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