夜の蜘蛛わが掌中に息ひそめ
ふと見ると、壁に張り付いていたり、床でじっと身をひそめていたり。蜘蛛です。
見つけると、つぶさぬように捕まえて、そっとベランダに逃がしてやります。
つぶさぬように捕まえ、と書きましたが、これが結構たいへんです。柔らかく捕まえようとすると、ピッと跳ね、追いかけて捕まえようとすると、またピッと跳ね、十数回繰り返しているうちに、机の裏側に雲隠れしたりしてしまいます。ところが近頃、そっと指を近づけると、割りと簡単に捕まえられるようになりました。仲間同士で、あいつは殺さないから平気だ、みたいな申し合わせ事項が成り立っているのかな。
幕末の異国船や紅葉坂
先日、気功教室の帰り、俳句を永くされているKさんに、「少し涼しくなってきて、俳句を作るにはいい季節になってきましたね」と申し上げると、「暑いときにも寒いときにも句はできます」。はぁ、そうやって作っておられるのかと、恥ずかしくなりました。
句作せよ暑さのなかに色もあり
文なほし脳中ぷちぷち夏の午後
小・中の同級生のSさんから写メールが送られてきた。「フラっぱで撮った山百合」と。
ところで、フラっぱ… なつかしい!! 原っぱが訛ってフラっぱ。かな? ぼくの中ではちょっと違うイメージなんだけど。なんというか、平らなところでなく、丘とか崖とかの、ある傾斜をともなった草地みたいな。ん〜、わからん。Sさん、どう?
ちなみに、きのうの花火の写真もSさん提供による。大曲の花火大会のものだそうです。
休めし手ふたたび蠢(うごめ)く虫のごと
肩寄せし二人眠らず熱暑かな
湘南新宿ライン車中でのこと。向かいの席に若き日のバルバラ風の美女が座っていた。電車というのは、たまにこういうことがあるものなのですね。
バルバラ風の美女は少々疲れている様子。それがまた彼女の美しさをいっそう引き立てているようでもあった。美人というのはなんにしても得です。足下には大ぶりのトランク。
彼女の隣はといえば、わたしと同じか少し年下ぐらいの男性で、いくら冷房が効いているとはいえ、この暑さの中、バルバラ風の美女を右手でグッと自分のほうに引き寄せ眼をつぶっているのであった。バルバラ風の美女はそれをどう思っているのだろう。わたしは少々興味を覚えた。
こんなに暑いのになんで寄り添ってくるのよ。肩まで抱いて…。と、そんなふうに思っているのかと最初は思った。ところがどうもそうとばかりも言えなそうなのだ。嫌がっているふうではない。ときどき、胸を開くようにして凝りをほぐす仕草を見せるものの、暑苦しい男の手を払い除けることはしない。ばかりか、たまにはなんと男の胸のほうにしなだれかかったりもするではないか。わたしは分からなくなって、もうどうでもよくなってきて眼を閉じた。ひょっとしたら、男もバルバラ風の美女の真意を計りかね、それであんなに強く抱き寄せていたものか。もう、本当にどうでもよかった。
肩寄せし愛に暑さが勝ちにけり
居眠りの瞼の裏の西日かな
丈高き夏草影をつくりをり
昨日は竹内敏晴演出の「八月の祝祭」を見に浜田山へ。現代の「修羅」たちのこころざしを舞台に上らせたユニークかつ大胆な試み。内容もさることながら、竹内さんの矍鑠ぶりには驚いた。齢八十を越しますます元気。舞台の途中、一度だけダメ出しをしたときの迫力ったら!
こほろぎも惹かれ密かの閨のこゑ
鰯雲窓辺の青き乳房かな
美脚もてジャッカルのごと夏留め
痩せ蛙灸する腹の白さかな
烏追い鳶追われつつ蔦かずら
日傘して肩の端熱射除けきれず
日傘というのは総じて小ぶりなものが多いのですね。そうすると、幅のある人というのは必然日傘の直径より肩幅のほうが勝ってしまうわけです。
昨日の昼、そういう女性を見かけました。路地から現れ、わたしの前を歩き始めたので、大ぶりの肩がどうしても目に入ります。しかも、両肩の端っこに日焼けの跡がくっきりと残っていました。あたかも、日傘の直径は肩のここからここまでですよと言わんばかりに。思わず笑いが出てしまい、前の女性に聞かれはしまいかとはらはらものでした。
睦言を傍らできく夏の虫
夏惜しみむずかる肉(しし)を押し込めリ
鰯雲少年の気ただならず
牛蛙どたらばたらどたらばたら
自然との共存は虫たちとの共存でもある。なんて。小学校時代、教科書以外に読んだ本といえば、ファーブルの昆虫記ぐらい。学校の図書館を利用したのもそのときが初めてではなかったか。そこには、知っている虫たちの秘密が記されているようで、どきどきしながら読んだものだ。人間について書かれた本に興味を持つのはもっと後のこと。
三角の蝦蟇の目青く光り居り
月出でて慢心するなと和尚言ひ
走馬灯とろりとろりと色濃くし