見えないハチマキ

 梅雨はまだ明けていないのに、日に日に暑さが増し、きのうは関東各地でのきなみ気温三十度を超したところが多かった。暑い。つい口から洩れる。そう言ったからといって何ら状況に変化はもたらされないのに、つい口を突いて出てしまう。
 さて、わたしはこのごろ帽子を被っている。毛の薄い坊主頭を直火焼きから防ぐのに帽子は欠かせない。夏用のハンチング帽も持っているが、オシャレしてパナマ帽。白いのと黒いの。これのいいところは、内側に「すべり」といって、頭に直接触れる部分にハチマキ状の布か革が付いていること。したがって、帽子を被るということ、特にソフト帽やパナマ帽を被るということは、外から見えないハチマキで、きつく頭を縛っているようなものなのだ。これはいい。なぜなら、どんなに暑くても汗がだらだら顔を伝わって零れ落ちることがない。サラリーマンが駅のホームでネクタイをゆるめ、暑い暑いと連呼しながら搾れるぐらいに水分を含んだハンカチでなおも顔の汗を拭く図は、見ているだけでこちらの体感温度が2度は上がる。だから、サラリーマンの皆さんも帽子を被ってみてはどうだろう。ところで、気に入って被っているこのパナマ帽、問題がないわけではない。
 きのうは本当に暑かった。家を出て保土ヶ谷駅まで歩く。横須賀線の電車に乗り次の横浜駅まで。階段を下りて上り、京浜東北線に乗り換え桜木町駅まで。紅葉坂をはぁはぁ言いながら上って会社に着く頃には体全体がまるで沸騰しているかのよう。帽子を脱ぐ。そうすると、それまで「すべり」によって食い止められていた汗が、まるでダムが決壊したかのごとくに一気に零れ、というよりも、流れる。だら〜。ヒュ〜と打ち上げられた花火がドカンと鳴って、その後、四方八方に乱れ散る図にも喩えられようか。ともかく、帽子を脱いだなら間髪入れずに、急ぎ、ハンカチで、頭、ひたい、首のぐるりを360度、高速回転で拭かなければならない。およそオシャレとは程遠い。一見涼しげに見える帽子だが、こんな苦労が潜んでいるとは思いもしなかった。

あいさつ

 きのうはお客さんが三人あった。最初に気付くのはいつもわたし。なぜなら、部屋の一番奥、中央にわたしの机が入口方向に向いて置かれてあり、必然、ドアに嵌めこまれたガラスに映るシルエットが他のだれよりも目に付きやすいからだ。先頭きって「いらっしゃいませ」。すると、机に向かったり、パソコンに向かって仕事をしている者も一斉に立ち上がり、「いらっしゃいませ」。初めていらっしゃるお客さんは、これに驚かれることもあるだろうが、わたしはこれでいいと思っている。
 どこというわけではないが、訪ねていって、「ごめんください」と言っているにも関わらず、だれも顔を上げず、しばらく無言、ようやくだれかがそばにやって来たかと思うと、「どちらさまですか」などと訊かれることが往々にしてあるからだ。あれは嫌なものだ。ばつが悪い。だから、ウチに来るお客さんにそんな思いをさせたくない。いくら仕事に集中しているからといって、「ごめんください」の言葉も耳に入らぬということはない。
 お客さんが帰られるときは、「ありがとうございました」と言って、わたしが見送ることが多い。そうすると、シャチョーがそうしているのに社員が自分の仕事に没頭しているわけにはいかない。というわけで、みな立ち上がって「ありがとうございました」。
 先日いらっしゃったお客さんで、ウチのそういうあいさつの仕方を褒めてくださる方がいらっしゃった。どういう教育をされているのですか、とも。教育はしていませんと答えた。こういうことはやはり、上の者のやり方を見て真似るというのが一番だろう。

ホヤッキー

 編集者の窪木くんがいる。週代わりの小社トップページに名前が出るようになった。「今週はクボキがお送りいたします」。本人は控え目に、漢字でなく片仮名で「クボキ」と表記している。わたしはちゃんと窪木くんと呼んでいるが、いつの頃からか、だれ言うともなくクボッキーと愛称で呼ばれるようになった。
 さて、そのクボッキーこと窪木くんだが、夏らしくバッサリ髪の毛を切ったようで、今週、涼しげな表情で出社した。頭頂部はポヤポヤッと髪が残っているが、周囲はことごとく刈り上げている。みごとだ。聞けば、バリカンでやってもらったそうだ。そうだろうと思った。
 しばらくつくづく見ていた。ふむ。似ている。似ている。なんだ。ふむ。うん。アレだアレ。ホヤだ。好きな大辞林によれば、海鞘(ほや)綱の原索動物の総称。……単体で食用とするマボヤ、群体をなすイタボヤなど多くの種類がある、とある。
 そう思って見ると、窪木くんの顔というか頭全体がますますホヤに見えてきた。もう取り返しがつかない。これから少しずつ髪の毛が伸びホヤらしくなくなっても、あの独特の味と共に刷り込まれた形状の魅惑を消し去ることは無理。ホヤッキー! 美味そうだ。

みかんの木

 ベランダに鉢植えの蜜柑の木がある。自宅で会社を始めた年に買ったものだから、7年ほど経過したことになる。堆肥もやらず土も変えず水遣りするだけだから、栄養不足なのだろう、実を結ぶことはなくなった。それでも若葉の季節ともなれば、蜜柑の香りのする黄緑の葉をつけ目と鼻を楽しませてくれる。そうすると、どこからやってくるのか、決まってアゲハ蝶の幼虫が何匹も付いていて、一心不乱に若葉をむしって食べている。最初は、「なんてことするんだコノヤロウ!」と一匹ずつ取っては緑の藪の中に放っていたのだが、実をならせることが目的ではなし、十分若葉を楽しんでいるわけだから、あとはアゲハの幼虫の餌にしてあげてもいいかという気になってきた。今ではお礼参りのつもりなのか、蝶になったアゲハがベランダの付近をひらひらと飛んでいるのを目にすることがある。だから、これでいいのだ。さて、今日も暑うなるぞ。

気分上々

 『イーリアス日記』の著者・森山康介さん来社。『新井奥邃著作集』完結を祝ってくださり、専務イシバシ、武家屋敷、わたしの三人、すっかりご馳走になった。場所は清泉。藤原紀香が二度訪れたという伝説の(?)あの清泉だ。鰻料理中心のお店で、昼飯時に野毛坂を下り鰻を食べに来ることはあるが二階に通されたのは初めて。森山さんが予約を入れてくれていた。
 創業六十年を超す老舗の部屋はしっとりと落ち着いていて、話がはずみ、箸もすすむ。森山さん、今年はオデュッセイアを読んでいるとか。会社勤めを果たしながらのことで、恐れ入る。なんたってイーリアスにオデュッセイアだもの。それも原典で。世界は広い。森山さんが初めて会社を訪ねてこられたときのことが今も忘れられない。『ダンテ神曲原典読解語源辞典』を部屋の真ん中の木のテーブルに広げページを繰っていた。版元として、大学の研究者でなければまず読みこなせないだろうと思っていたが、そうでないことをまざまざと見せつけられた。……
 いつのまにか楽しい時が過ぎ、帰る時刻となって立ち上がった瞬間、ほんの少しだが甘い香りが鼻先をくすぐった気がした。階段を下りて靴を履き、女将さんに「藤原紀香さんもあの部屋で食事をされたのですか」と訊くと、「はい」。そうだったのか。すっかりいい気分になって外へ出た。森山さんのおかげです。ごちそうさまでした。

恋愛

 知人と話していたら、「あの娘は暗い恋愛をしているかもしれない」と真面目な顔で言うから、大笑いしてしまった。恋愛に明るい暗いの区別があったのか。あるとして、明るい恋愛というのはどうも信用できない。切実になればなるほど、明るさとは程遠いものになりがちだろう。その意味で、暗い恋愛は本気に近いかもしれない。知人には、そんなふうに言わなかったけれど。
 夜、テレビを点けたら、トンネルズの番組に石田純一が出ていた。「新・食わず嫌い王決定戦」。相手は倖田來未。冒頭、石橋が石田に「最近、恋をしていますか」と訊くと、石田は石田らしく「恋は、ほら、一人でもできるから。愛は二人で作るものだけど」と言った。なるほど。

深呼吸

 このごろどうも空気が薄い。子供のころ、あんなにいっぱいあった空気が空に拡散してしまったのか、地球温暖化とやらでそうなってしまったのか分からないが、空気が薄くなったことは事実だ。それとも、わたし自身の問題か。いずれにしろ、深い森のなかへ入って深呼吸する必要がありそうだ。好きな長田弘の詩集に『深呼吸の必要』がある。