種なし

 

・濡れ猫や冬をまとひて総毛立つ

 

りんご、ぶどう、梨、みかん、柿、
ほかいろいろ、
果物はおいしいですねー。
甘さだけでなく、
酸っぱさがなんとも言えなくキュッときます。
ところで
このごろのぶどう、
ほとんどが種なし。
中には皮ごと食べられます、
なんてものもある。
食べやすいことこの上なし
ではありますが、
これがエスカレートして全部種なし
になったら、
種が滅ばないか、
などと、
要らぬ心配をしてしまいます。

 

・ホッと息冬の工事の灯りかな  野衾

 

エレベーター

 

・乾きたる音のどこまで枯野かな

 

原稿読みで疲れての帰り、
だれもいない廊下を
重く歩いてエレベーターへ向かうと、
閉まりかけているドアが
視界に入り、
急ごうか
という気持ちが
ほんの一瞬もたげたものの、
いいや、
で、
ドタドタとドアの前まで。
と。
当然閉まっているものと思い込んでいたドアが開いたままです。
「あ。どうもありがとう」
小学校三年生ぐらいでしょうか、
いっていて四年生ほどの女の子が
エレベーターの中でボタンを押し続けていました。
ドアが閉まっていっしょに一階へ。
「公文に行ってきたの?」
「はい」
一階についてドアが開くと、
女の子はまたボタンを押しています。
「ありがとう」
先に出て、
会館を後にし。
外はとっぷりと暮れています。

 

・日向ぼこ伸びする猫の背中かな  野衾

 

野の学へ

 

・ひとを責め嫌悪のみあり冬ざるる

 

「春風新聞」21号と映画「鎌倉アカデミア 青の時代」のチラシを
業者に依頼しDMしたところ、
つぎつぎうれしい感想が寄せられています。
十九期目に入った弊社は、
「野」を意識し
さきごろウェブサイトをリニューアルしましたが、
寄せられる感想から、
「野」の意味を
さらに考えつづける必要を感じます。
掘り下げていくイメージとして、
たとえば安藤昌益の「直耕」
新井奥邃の「謙和」がもたげてきます。
*
写真は、ひかりちゃん提供。

 

・テレビでは十一月のゴジラかな  野衾

 

ゴジラ

 

・鍼灸院出でてぶるるや冬に入る

 

テレビを点けたら、
ゴジラと闘った怪獣たちの人気投票をやっておりまして、
しばらくぽけーっと見ていました。
しているうちに、
変な妄想が…。
夕刻五時に現れるのがゴジラ、
とすると、
四時だとヨジラ、
六時でロクジラ、
十一時だとジュウイチジラ、
字余り。
なんて。
ダジャレです。
「~ら」といえば、
このごろテレビでたまに見るタケノコ王、
語尾に「ら」を付けることが多い。
方言でしょうか。
いまなん時?
サザンオールスターズなら、
そうねだいたいね。
タケノコ王の場合、
ん~五時ら、
てか。

 

・何処へと向かふすべなし冬の空  野衾

 

ハト

 

・浮世をばしばし忘れぬ月の友

 

桜木町駅の蕎麦店・川村屋で遠藤の青汁を飲み、
外へ出たらいい天気。
なにかいいことありそうな。
気がしないでもない。
と。
見上げればハト。
ほぼ等間隔に並んでいる。
なにを思ってそうするのか。
なにか考えて
いるのだろうか。
ハトは雑食性で空飛ぶ鼠といったのだれだっけ?
灰色の屋根の灰色のハト。

 

・古き友あり秋の深まる宴かな  野衾

 

憂苦に溺れず

 

・カウンター句をひねりつつ鮨を食ぶ

 

加藤楸邨の『芭蕉全句』を読んでいたら、
『奥の細道』に登場する

 

蚤虱馬の尿する枕もと

 

を解説し、
「単なる描写に終らず、憂苦に溺れず、
自分の置かれた境を踏みしめてゆるがない感じがある」
の記述に出くわしました。
溺れるのは、
水か快楽だとばかり思ってきましたが、
たしかに憂い苦しみに沈潜し、
溺れてしまうことも間々ありそう。
憂い苦しみの味か。
表現が自己の表出に留まらず、
表現することを通じて
自己が鍛えなおされるという境涯を尻、
知りたい。

 

・浮世にて秋の隣の憂き世かな  野衾

 

手綱

 

・新米や朝の食卓父と母

 

メガネストラップをつかうようになって二週間ほどたちますが、
どうもしっくりくるのがなく、
あれこれ四、五本買っては
つぎつぎ試してみました。
太い布製の紐だったり、
金属製の鎖だったり、
金属製のものでも
細いものあり太いものあり。
それぞれ特徴がある
とはいうものの、
いわば帯に短し襷に長し。
いまのところ落ち着いているのが、
薄茶色の馬革の紐。
だんだん身に着けていることを忘れていますから、
ほどよく馴染んできたのかもしれません。
ただ一点、
これをしていると、
自分が馬になった気にもなり、
手綱を後ろで操られているような、
そんな不思議な今日このごろ。

 

・秋の日を孫を背負ひて時忘る  野衾