昨年、カルヴァン、ルターの著作を集中的に読み、
聖書理解も深められたか
とよろこんだのもつかの間、
どういうわけか、
だんだん胸が苦しくなってきました。
本のせいにするのはお門ちがいも甚だしいのかもしれません
けれど、
時代を画した人物、書物というのは、
清新さを帯びつつ
切っ先がなんとも鋭く研ぎ澄まされておりまして。
その切っ先に
触れてしまったような具合かと。
なので、
こんどは同時代のものながら
毛色のちがった書物を
と愚考し、
一計を案じ。
そうだ、ラブレーだ。
マイケル・A・スクリーチの
『ラブレー 笑いと叡智のルネサンス』(平野隆文訳、白水社)
を手に取りました。
渡辺一夫訳で
『カルガンチュワとパンダグリュエル物語』
を読んだのは三十年以上前ですから、
だいぶ時間がたってしまいました。
日本とも縁が深く
なんと渡辺一夫とも親交のあったというスクリーチさんのこの本、
日本語の訳文と相まって、
ふかく息ができ、
冬眠を終えてでてきたカエルのように、
ホッ!
ルター、カルヴァンの呪縛から
少し解放された気分になりました。
・孤独とや蒼茫として冬の空 野衾
宮田光雄先生(電話でですが、昨年、何十年ぶりかでお声を拝聴)
の
『カール・バルト――神の愉快なパルチザン』(岩波現代全書)
をおもしろく読みましたので、
勢いづいて、
つんどく状態だったバルトの
『ローマ書講解』を手に取りました。
と、
こちらは、むずかしいけどおもしろい
というのも憚られるぐらいの
書物でして、
バルトはしばらくいいかと思いました。
が、
バルトの本に
『モーツァルト』(小塩節訳、新教出版社)があることを知り、
さっそく読んだところ、
これはまた
ラジオでのインタビューがもとになっている
せいもあってかすらすらと。
バルトさんモーツァルトのことがよほど好きらしく、
あの世へ行ったらパウロをはじめ
会いたい人が何人かいるけれど、
なんといっても
一番に会いたいのはモーツァルトだと。
ということで、
このごろは
バレンボイムの『ピアノ協奏曲全集』
に聴き惚れています。
・鷹の眼の千古のひかり伊良湖崎 野衾
アイドルの人気のようにつかわれる「人気」ですが、
「にんき」でなく「じんき」
と読んで、
いまとちがうとらえ方があったようです。
天に気があるように人にも気があり、
それがべつべつ独立したものでなくお互いに密接に関係しており、
相互に作用しあっている
というもの。
インフルエンザが大流行していますが、
インフルにかぎらず、
わたしもふくめ
なんとなく体調がすぐれないひとが
周りに少なくありません。
天の気と人の気、
さらに、
政道がみだれるとそれが天の気を乱し
天変地異が起こるという見方があったようです。
宝島社の新年の企業広告、
「敵は、嘘。」「嘘つきは、戦争の始まり。」
も
ご政道の乱れを突くことばかと思われます。
・たづね来て千古の鷹や伊良湖崎 野衾
安藤昌益は、現在の秋田県大館市に生まれた
ことは分かっていても、
伝記的部分のよくわからないひとで、
それもあってか
昌益のものを読む研究者は、
自身の考えを昌益に仮託して語る
ということがこれまで少なくなかったようだ。
いかにユニークな考えを持つ思想家でも
はじめからユニーク
ということはまず考えられない。
時代や地域の一般的常識的な思想を身につけ、
それをスプリングボードに、
そのうえで
なにかを契機にして
ユニークで新たな思想の領野に踏み込んでいくのだろう。
そのことに気づかせてくれたのが、
若尾政希著『安藤昌益からみえる日本近世』(東京大学出版会)
である。
若尾さんは、
一次資料にあたりながら字句の比較を通して、
昌益がなにを読んだのかを
丹念に調べ上げている。
分からないことや分からないひとを
色づけするのではなくて、
地味ながら必要なことを時間をかけて行う。
読んでいて実に気持ちのいい本。
また、
思想形成にとって
書物のもつ力
ということをあらためて感じ考えさせられた。
・富士見ての底冷えのするホームかな 野衾







