バーゲンセール

 

最初にお断りしておきますが、
夢のはなしです。
初夢ではありません。
すでに変なのから愉快なものまで
いろいろと見てますので。
しにせの古書店が開催するバーゲンセールの夢でした。
おおきな古書店で、
フロアが三階まであり、
どの階も本の数に匹敵するぐらいの人の数。
立錐の余地もないぐらい。
気に入った本をすでに何冊も抱えているひとがあり、
すれちがうこともままならず。
わたしも
欲しい本を数冊見つけ持ち歩いていたのですが、
値札を見ていなかったことに気づき、
ひょいと見た。
一冊が七万円、もう一冊が八万円、
さらに上下巻で持っていた二冊は合わせて十一万円、
ギョギョギョとなって、
あわてて返却
しようとしたら、
店の人に理由を訊かれたりしてどぎまぎ。
しどろもどろになりながらも
なんとか返すことができ、
買わずに済みました。
さて二階も見てみようかな
と階段にさしかかったときのこと、
上から連なって下りてくるひとのなかに
見覚えのあるひとがいて、
よく見たら
業界紙のAさんで、
「あれ、Aさんじゃないですか」
「あ。みうらさん」
「もうお帰りですか? ずいぶん買い込みましたね」
「あ、はい。もうすぐ銀行が閉まってしまうもので…」
「そうですか」
Aさんは下から上ってくるひとにぶつからないように、
買った本を大事そうに抱えながら
ゆっくり階段を下りてゆきました。
Aさんと別れたあと、
わたしは二階に上っていったはずですが、
それからのことはどうにも思い出せません。

 

・初春や祖母も来てをり竈神  野衾

 

プラテーロとわたしとわたし

 

『プラテーロとわたし』という本も、
それを書いたスペインの詩人ヒメネスというひとも知りませんでした。
もう四十年ちかくまえのことになります。
プラテーロとわたしも
ヒメネスも
シンプルで覚えやすく、
それにこちらのわたしも若かったので、
忘れずに来ました。
が、
名前を知っているだけで、
買うことも読むこともなく月日が過ぎていきました。
二〇一一年、
東日本大震災があった年に
新刊案内のニュースか何かで、
新装版がでることを知りさっそく求めました。
が、
それでもまだ読まずに
自宅の本棚に置いたきり
月日ばかりが過ぎていきます。
そしてきのう、
初めて読みました。
なんでいままで読まなかったのか
と思うぐらい
のもので、
ふと時計を見れば
すでに夕刻でもありましたから、
のこりのページは
つぎの休日の楽しみに
とっておくことにしました。
「プラテーロは、小さくて、ふんわりとした綿毛のロバ。」
訳は伊藤武好さんと伊藤百合子さん。
絵は長 新太さん。
訳も絵もすてきです。
「スペイン語で銀はプラータといいます。そこでプラテーロの名は、
銀のようなというひびきをもっています。」
と注に書かれています。
帯には
「これはたぶん、私の知る限りもっとも美しい書物です。」
江國香織さんのことばが引かれています。
時間はあっという間です。

 

・これほどの日和のなかの初湯かな  野衾

 

謹直なユーモア

 

東京の出版社に勤めていたとき、
『奥邃廣録』の復刻につづき企画編集したのが
かつて警醒社からでていた山川丙三郎訳『ダンテ神曲』の複製版。
『奥邃廣録』が案外売れたので
割とすんなり社長がOKしてくれたのだった。
そのパンフレットにのせるため作家の大江健三郎さんに推薦文を依頼したところ、
快諾してくださり、
ありがたい文章をいただいた。
そのなかにつぎのような文言があった。
「文体のおだやかな威厳。
生真面目でいて、
この訳者には謹直なユーモアとでもいうものがあったはず
と感じさせる言葉の選び方。」
謹直なユーモア。
つつしみぶかく正直であってなおかつユーモアがある…。
大江さんは山川に会ったことはないはず。
山川の日本語からそう感じたのだろう。
さて、
ただいま『新井奥邃選集』(仮題)編集のため、
コール ダニエルさんがえらび入力してくださった奥邃の文章を
すこしずつ読み進めている。
仕事でありながら、
文の気とでもいったものに触れることができ、
こちらの気も晴れていくようだ。
吉川幸次郎の言い方になぞらえていえば、
わたしは奥邃を読むためにこの世に生まれてきたと思いたいぐらいだ。
きのう読んでいた文章にこんなのがあった。
「悔悟は何の益ありや、悔悟の益は其善実を結ぶ所に在り。
若し其善実を結ばずんば百度悔ゆるも何の益なし。
盗賊は休業すと雖も盗賊なり。
若し悔いて復盗まざるも、
盗賊の性根にして其中に存せば、休業の盗賊のみ。良民に非ざるなり。」
ここにさしかかったとき、
つい声をだして笑った。
笑ったことでその分、また気が晴れた。
そして、
大江健三郎さんが山川の文体を評していった言葉を思い出した。
謹直なユーモア。
一流の作家というのは、
書くだけでなく
読み巧者でもあって、
文章からそれを書いた人間を洞察するのだろう。

 

・学業と部活合間の初バイト  野衾

 

トイレの蜘蛛2

 

自宅のトイレで見つけた蜘蛛について
先月この日記に記しましたが、
けさ起きてトイレに行くと、
いました。
奇妙な夢を見ていたせいで
頭がぼーっとしていた
のですが、
蜘蛛くんのおかげでスッキリシャッキリと。
それにしても、
この蜘蛛くんを見るといつも思うのは
いのちの不思議。
透明にちかいちっちゃなからだで
あいまいなところがこれっぽっちもなく、
これのどこにいのちが宿っているのか
と、
つい見てしまいます。
感情ってものはあるのか知らん?
いやいや、
その疑問はおそらく
こちらが勝手に蜘蛛くんにおっかぶせているだけで、
ただいのちそのままの蜘蛛くんにしてみれば、
不思議そうに眺めているこのわたし
の方こそちゃんちゃら可笑しい
のかもしれません。
だんだん親しみがわいてきます。

 

・十七の肩も凝るなり初日の出  野衾

 

シンクロニシティ

 

昨年読んだ本のなかで二番目におもしろかったのが
エレンベルガー『無意識の発見』(上・下)
ところできのう、
新しい本の打ち合わせのために静岡からN先生来社。
話の途中
おもむろに鞄の中から取り出したものがあり、
なにかと見れば、
な、なんと
『無意識の発見』
あ!!
いやぁ驚いたのなんの。
こういうことってあるんですね。
聞けば、
今回の原稿を書くために、
心理学、精神医学関係の書籍をリヤカー一台分くらいは購入し読まれたのだとか。
『無意識の発見』はそのうちの二冊。
送っていただいた原稿をまだザっとしか拝読していませんが、
熱量が感じられ
おもしろい本になること間違いなし!
の確信を得ました。
いい年の始まりです。

 

・三が日おだあげてをり酒祝(さかほが)ひ  野衾

 

2019年

 

いよいよ始まりました。
仕事始めの日は例年、
すぐとなりにある伊勢山皇大神宮に全員で出向きお祓いをしてもらい、
それから、
いただいた賀状に目を通しながら、
ご縁のある方々の近況を思い浮かべます。
原稿書きに余念のないひと、
七十を過ぎて新しい外国語を習得せんと精進しているひと、
定年後に夫婦で外国旅行を楽しんでいるひと、
いろいろです。
ご縁の輪はますますひろがっていきます。

 

・初市の樽を出でたる酢蛸かな  野衾

 

しにゃぐにゃ

 

八十七歳になった父は
年齢にふさわしく入れ歯を装着しています
が、
好物は変わらずで、
イカタコが食卓に上がれば、
つい箸がのびるようです。
イカやタコばかりではありませんが、
とくにイカやタコを
口に入れて噛んだとき、
くにゃくにゃして噛み切れず
噛んでも噛んでもなかなか嚥下できないことを称し、
秋田では「しにゃ」といいます。
しらべてはいませんが、
おそらく、
「弾力があって、しなやかにたわむ。しなる」(広辞苑)
の意の「撓う(しなう)」
から来ているのではないか
と思われます。
ところで今回、
弟が案内してくれたスーパーマーケットで購入した酢蛸は、
酢の具合もほどよく、
また二、三回噛んだだけでスッと噛み切れる
クオリティの高い蛸
でありました。
父もおいしそうに食べていました。
弾力があってしなやかにたわむことが「しにゃ」
「ぐ」は接続助詞の「~では」
かな?
「にゃ」は否定の意の「ない」
したがいまして
今回の酢蛸は「しにゃぐにゃ」
弾力がありすぎて噛み切れないものではない
という意味になります。
と、
さてきょうは仕事始め。
適度に弾力を保ち、
必要に応じて潔い謙虚さを忘れぬ仕事をしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

・壺を出て初市に蛸来りけり  野衾