大地の神秘に根を下ろす

 

ハイデガーの思索は、無神論、あるいは有神論であると早々と決め付けるのは、
誤りであり、
また、神の存在の問題には無関心な哲学であると決め付けるのも、
誤りである。
ハイデガーは、シェリング講義の中で、
「あらゆる哲学は、根源的・本質的な意味において神学である」とし、
「例えば、ニーチェの哲学もまた、
まさに《神は死んだ》という本質的な命題をそのうちで述べた故にこそ、
《神学》なのである」と言い、
全体としての存在者のロゴスの把握のために、
存在の根柢としての神を問うことが、
哲学のあり方なのだと表明してもいるのである。
(上田圭委子『ハイデガーにおける存在と神の問題』アスパラ、2021年、pp.443-4)

 

もう無くなっていると思いますが、
わたしが子供のころ、近所に、さほど大きくない沼、というか、堤がありました。
弟を連れ、釣りに出かけたことがあったように記憶しています。
周りは田んぼで、そこだけボカッと、
まるで大地の奥歯が抜けでもしたように、
不思議な印象を与える堤でした。
堤の底はものすごく深くて、
高台にある堤の底は、
坂を下ったところに位置する大きな沼と繋がっている、
というようなことが囁かれていた…。
いや、
明るい広々とした風景のなかにあって、
不思議な光景を湛え、
ひとことも発せぬ堤の印象が、
わたしの勝手な想像に刺激を与えていただけかもしれません。
正確に話そう、書こうと思えば思うほど、
底の知れないものが姿を現してきそうな気がします。

 

・地を擦る葉の音ひそと冬の月  野衾