家の友

 

「家の友」(der Hausfreund)
……通常の意味では、
別に何といふ用事もないのに度々訪ねて來ては話しこんで行く家庭の友人のことである。
さういふ友人は、家族ではないが、家庭にとつて、
特にその家庭の雰圍氣にとつて、
場合に依つては家族の一員よりも、無くてはならぬ人物である。
ハイデッガーはこの書物の内では「家」を「人間の住家」としての「世界」と解し、
ヘーベルの言ふ「家の友」を、
さういふ「世界としての家」にとつての「友人」と解し、
さういふ意味での「家の友」に「詩人の本質」が存すると、思惟してゐる。
(マルティン・ハイデッガー[著]高坂正顯・辻村公一[共譯]
『野の道・ヘーベル―家の友』理想社、1960年、p.66)

 

ハイデッガーが「ヨハン・ペーター・ヘーベルは家の友である」と記した、
「家の友」に注番号が付されており、
その譯註として書かれているのが上の文章です。
これを読んだとき、
文の主旨とはズレますけれども、
わたしがまだ子供だったころのことがなつかしく思い出されました。
あの頃、
祖母の兄が、
我が家から歩いて二分とかからぬところに住んでおり、
わたしの祖父と仲が良かったので、
よく訪ねてきていました。
小柄なひとでした。
気が置けない仲のいい男同士だからこそであったでしょうが、
意識を超えたこころの奥で、
妹を思いやる気持ちが無意識に働いていた
のかもしれぬ
と、
いままでそんなふうに考えたことがなかったのに、
ふと思いました。

 

・冬紅葉うら悲しくもまどふかな  野衾