世人(das Man)

 

世人とは、自らを世界の意義連関の方から理解し、好奇心によって動かされて、
次から次へと新しいことを知りたがり、
知ってしまえばそれを深く考えることなく興味を失って、また次の新しいことを知りたがり、
内容のないおしゃべり(空談)に現を抜かし、
自分が語ってることの意味も、
また自分が置かれている状況の意味もきちんと把握せず、
過去を踏まえず忘却し、
未来に向けてどうあるべきかを曖昧にして、深く考えることなく生きている(曖昧性)、
そうした在り方をした現存在のことである。
しかしこうした非本来的な在り方においても、
現存在は、
世界の意義連関の中に埋没しつつ、何かを絶えず了解したがり、
語りたがるという傾向をもっているのは、
本来的在り方をしているときだけでなく、
非本来的な在り方をしているときにも現存在が開示性という性格を持っているがゆえであると、
ハイデガーは見ている。
(上田圭委子『ハイデガーにおける存在と神の問題』アスパラ、2021年、p.403)

 

雅楽や能の世界で、序破急ということばがありますが、
ハイデガーに関する上田さんのこの本、
後半に入り、記述の熱量がすごく高まった感があり、
それに伴い、
上田さんが語るハイデガーの話を、
もっと、もっと、と身を乗り出して聴きたくなる、
また聴いている具合です。
現存在はDaseinの訳語ですが、
ハイデガーは、のちにハイフンを入れ、Da-seinを用いるようになりました。
これについても、
存在の明け開けに関する小野寺功先生の一回限りの
かたくりの花のエピソード、
それと、
大伴家持が越中で詠んだ堅香子《かたかご》の花(=かたくりの花)
の歌を補助線にすることにより、
なるほどと合点がいきます。
序破急の急にあたる上田さんの本の第三部は、
「中期以降のハイデガーにおける存在と神の問題」です。

 

・ひとを恋ひひと嫌ひして冬籠  野衾