憂苦に溺れず

 

・カウンター句をひねりつつ鮨を食ぶ

 

加藤楸邨の『芭蕉全句』を読んでいたら、
『奥の細道』に登場する

 

蚤虱馬の尿する枕もと

 

を解説し、
「単なる描写に終らず、憂苦に溺れず、
自分の置かれた境を踏みしめてゆるがない感じがある」
の記述に出くわしました。
溺れるのは、
水か快楽だとばかり思ってきましたが、
たしかに憂い苦しみに沈潜し、
溺れてしまうことも間々ありそう。
憂い苦しみの味か。
表現が自己の表出に留まらず、
表現することを通じて
自己が鍛えなおされるという境涯を尻、
知りたい。

 

・浮世にて秋の隣の憂き世かな  野衾

 

手綱

 

・新米や朝の食卓父と母

 

メガネストラップをつかうようになって二週間ほどたちますが、
どうもしっくりくるのがなく、
あれこれ四、五本買っては
つぎつぎ試してみました。
太い布製の紐だったり、
金属製の鎖だったり、
金属製のものでも
細いものあり太いものあり。
それぞれ特徴がある
とはいうものの、
いわば帯に短し襷に長し。
いまのところ落ち着いているのが、
薄茶色の馬革の紐。
だんだん身に着けていることを忘れていますから、
ほどよく馴染んできたのかもしれません。
ただ一点、
これをしていると、
自分が馬になった気にもなり、
手綱を後ろで操られているような、
そんな不思議な今日このごろ。

 

・秋の日を孫を背負ひて時忘る  野衾

 

音楽が降りてくる

 

・明月や昔話に似てゐたり

 

『音楽が降りてくる』は湯浅学の評論集。
湯浅は一九五七年生まれ、
わたしと同年。
本は、
ライナーノーツをはじめ、
各種媒体に書いたものの集成で、
圧倒的な情報量と、
湯浅独特の分析と感想が読者を飽きさせない。
たとえて言えば、
古今東西の音楽に
やたらくわしい友だちがいて、
彼のボロアパートでおすすめのレコードを聴きながら、
ご高説を拝聴しているような
そんな感じ。
同い年ということもあり、
ちらっちらっと現れる時代感が、
ん~、わかるな~
で、
そのちょっとした感覚がうれしい。
ピンク・フロイド、
シド・バレット、
名を見るだけでどきどき。

 

・明月や鍋ぐつぐつと山猫軒  野衾

 

 

・明月や電信柱もひと踊り

 

人里を離れた森の中に、
何百年と生きている親子がいて…
という話を
聞いたことはあった。
いま目の前にいる女と女の娘だろうか二人の少女がそれであるとは、
初めどうしても思えなかった。
が、
三人の、
といっても二人の若い娘は
ほとんど口を開くことはなかったけれど、
母と思しき女の発する言葉は、
地の方言とは異なっており、
まして標準語には程遠く、
これはひょっとして、
伝説のあの親子なのではないかと
思ったりもした。
混乱していたのだろう。
わたしは女の発する言葉を聞いているうちに、
なんとなく意味が分かる気がし、
地の言葉で話しかけると、
こちらの発する言葉を解するようであった。
わたしはこの親子が
いつからなんの目的で、
どこでどのように暮らしているのか、
とても興味を覚え、
幾つかの質問をし、
女の発する言葉にひたすら耳を傾けた。
そうしている間、
目は、
異様にきめの細かい女の肌と、
口を開くときに見える舌の色に釘づけにされた。
わたしは女と娘二人に連れられ、
森に行くことにした。
女はそれをたしかに了解してくれた、
と信じた。
歩き出して数分後、
女の表情が少しこわばったのが分かった。
女の目の先の遠くに
きちんとした身なりの男が二人
こちらに向かって歩いてくるようだった。
女は、
今日は森に連れていくわけにはいかないと、
早口でわたしに告げ、
娘二人を促してそそくさと歩き出し、
やがて小路に消えた。
それに合わせるかのように、
男二人も視界から消えた。
わたしは、
ひとりこの世に取り残されたように呆けていたけれど、
あの親子は
男たちに捕まることはない気がし、
なかば安心して家路についた。

 

・歩くほど月に忘るる疲れかな  野衾

 

同僚

 

・式場の裏を彩る落ち葉かな

 

以前勤めていた会社が倒産し、
その後ほとんど会ったことのないひとから
連絡がありました。
きっかけは古書の注文。
インターネットを通じて
静岡にある古書店に
本を注文したところ、
アルバイトで週に何日か働いているらしく、
注文主のところに
わたしの名を見つけ、
びっくりしたと。
それを知ったわたしもビックリ。
さらに、
これまたたまたま、
ごく近くにかつて一緒だった
もう一人の同僚もいるとのことで、
今度静岡から一緒に
遊びに来ることになりました。
まことに。
世界は広く、
世間は狭い。

 

・月の居る空いつぱいの青さかな  野衾

 

誕生月

 

・立ち止まり立ち止まり見る月夜かな

 

十一月に入りました。
昔のことを思い出しながらやって来ましたが、
このごろは、
とみに多くなっている気がします。
思い出が追いかけてくる
とでも申しましょうか。
俊太郎さんの
割と最近の詩にあったと記憶していますが、
「過去が未来につながるような」
ほんとに。
そのあいだの今日を
生き
歩いています。
あるがままは難しいなぁ。

 

・明月に置いてけ堀の心かな  野衾

 

3 / 3123