空飛ぶ嫁、いや、空飛ぶ夢をたまに見ます。
精神分析にかかればきっとなにかあるんでしょうけれど、
それは措いといて、
夢のなかで空を飛ぶのはなかなかに気持ちいい。
きのうは久しぶりに見ました。
これまで多くの場合、
だいたい山の頂からとかビルの屋上から
とかでしたが、
きのうは、
訪ねていった先の知人宅にて、
それも大勢いる前、
ネタの披露みたいな感じで、
パタパタと宙に舞い上がりそのままホバリング。
そのうち疲れて着地。
人間竹トンボとでもいうんですかね…。
勝手に自己分析すると、
長引いた痛風発作がようやく治まり、
久しぶりに電車で出社し電車で帰宅しましたので、
その気分の良さが夢に現れたのかと、
はい。
・前線のうごき恨めしかたつむり 野衾
一昨日のことですが、
病院ぎらいのわたしが病院に行ってきました。
二か月半に一度ですが、
気が重い。
しかも、
かかっている科が違うため午前と午後に分け
二度までも。
午後は、
診察を受けにくるひとの数が午前に比べてぐっと減り、
それだけで、
病院ぎらいのわたしとしては
息がつけます。
受付を済ませて
廊下のベンチに座って待っていると、
対面に設置されたベンチに
リュックを背負った白髪の男性が「よっこらしょ」
と腰を掛けました。
おもむろにリュックを外し、
じぶんの右わきに置きました。
と、
黒い大きめのリュックがまんなかからくにゃりと折れ曲がり
ベンチから落ちそうになりました。
老人は、
あわててリュックをもとの位置に戻しました。
やれやれ…
と、
また、くにゃり。
老人急いでリュックをつかみ、
「静かにしろ!」
と声を発し、
ていねいにリュックの居住まいを直してあげる風。
うん。
気持ちは分かる。
・破れあり意味をなさずの網戸かな 野衾
晩年は、論文の執筆はみられず、書斎ではほとんどが仕事としての読書である。
はじめの頃は専門の論文を書き継ぐための読書だったのが、
世界大戦の開始頃から
現代の歴史哲学(?)のような著述を意図した読書に変ったらしい。
明らかな読書は、
ヴントの『民族心理学』、ショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』、
『資本論』、それに最後がヘーゲルの『精神現象学』(もちろん全部が原書)
でこれは二ヵ年かけて三度目の通読が未完に終った。
(加藤惟孝「或る個性の記録」より、
阪谷芳直/鈴木正[編]『中江丑吉の人間像――兆民を継ぐもの』p.131、
風媒社、1970年)
たのしみのための読書でなく書き物のための読書でなく、
仕事としての読書をつらぬく。
『三酔人経綸問答』の著者・中江兆民の長男にして
稀代の中国学者・中江丑吉。
さっそうと歴史を駆け抜けた人物だ。
・かたつむり這ひゆく跡の光りをり 野衾







