経験の落とし穴

 

弊社は、きょうがことし最後の営業となりますが、
一年をふりかえってみて、
わたし個人としては「経験」ということを改めて考えた年でありました。
高校の教員を辞めて東京にある出版社に勤務し、
そこの倒産を機に同僚ふたりと春風社を起こしました。
出版社勤務がちょうど十年。
春風社がこの十月一日から二十五期目。
なので、
編集者として三十四年が経過したことになります。
本づくりについて習い、覚え、身につけてきたことがあります。
そのことが良きにつけ悪しきにつけ、
考えるときの土俵になっている気がします。
経験をとおして培ってきたことの重みを感じる
とともに、
それが重力のように逃れられない呪縛になっている
かもしれない
と、ふと、感じることがあります。
そう感じられることに感謝したいと思います。
いつの間にか、経験則によってものを考え、発想し、ひとを量るようになっていた
のではないか、
我執を離れ、
もっと自由に新しく考えることができたのではないか。
そう思ってみると、
これまでながく親しんできた『論語』や『聖書』の文言が、
これまでとはちがった響きをともなって、身に沁み、
こころに及んできます。
先人たちが『論語』や『聖書』をどんなふうに読み、
この世で与えられた仕事に、どう役立てていこうとしたのかが気になります。
ただ謙虚をこころに刻み、ひとに、仕事に、
向き合っていきたいと思います。

弊社はきょうが仕事納め。
2024年は1月9日が仕事始めになります。
どちらさまも、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

・ふり向けば老いたる犬の嚏かな  野衾

 

こんな話、好き

 

カイコが桑の葉を食むような速さで読んでいるのが寺島良安さんの『和漢三才図会』。
平凡社の東洋文庫に入っていて、十八巻あります。
ただいまその十巻目。
江戸時代の百科事典のようなものですね。
ヘタなようだけれど、そうともいえない、
味があるといえば味のある絵が文に添えられている箇所もあり、
たのしく、おカイコさん読みには適している。
第十巻からは、しばらく日本の地誌がつづくことになり、
地誌なので、絵は地図ぐらいで、
ほかにはありません。
でも、こんな話には惹きつけられます。

 

枕石しんせき寺 久慈郡川井村(常陸太田市上河合町)にある。
〔東派二十四輩の一つ〕
開基 道円房
道円は江州蒲生郡日野左大将頼秀ひののさだいしょうよりひで卿の裔しそん
で、
名は左衛門尉(頼秋)。
由があって当郡大門おおかど村(常陸太田市内)に在住した。
ある日、
親鸞が来て一夜の宿を乞うたが許さなかったので、
親鸞は門前の石を枕まくらにして臥した。
すると家主の夢に老僧があらわれて、
「阿弥陀如来が今夜門前におられる。どうして饗応もてなししないのか」
といった。
家主は驚いて目をさまし、
門外をみると一僧が石の上に臥しており、
その呼吸はみな称名であった。
家主は恐れ同時に喜んで家に迎え入れ厚くもてなし、
その弟子となり薙髪して名を道円と称し、
宅を寺とした。
枕石寺がこれである。
中古に内田村に移り、のちまたここに移った。
(寺島良安[著]島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳[訳注]『和漢三才図会 10』平凡社、
1988年、pp.60-61)

 

きのうのプルタルコスさんの『英雄伝』中のエピソードもそうですが、
こういう話はなかなか忘れない。
何巻もあって、ながくつづく本のなかから、
こんなことがあったんですか、
へ~、知らなかったー!
というようなことを見つけるのも読書のよろこびです。

 

・怒と哀を忘れたき世や歳の暮  野衾

 

人間の声の大きさ

 

演出家で恩師の竹内敏晴さんと話をしていたとき、
談たまたま竹内さんの『ことばが劈かれるとき』(思想の科学社、のちに、ちくま文庫)
に及び、
竹内さん曰く、
本を読んでくれた人の感想をいろいろ聞いたり、読んだりしたけれど、
けっきょく、本のなかのエピソードに尽きる、
エピソードの力を改めて感じさせられた、
というようなお話でした。
プルタルコスさんの『英雄伝』を読んでいても、
なるほど、くわっ、と眼を大きく開き、文章を二度見、三度見するのは、
そこに記されたエピソードでありまして、
いろいろ想像力が刺激されます。

 

ギリシアが、自由という希望のもとに、長い間戦った戦争がやっと終わって、
今や確実と見えた平和をことほいで、
久しぶりにイストミア競技会が開かれて、
大勢の人々が競技場に座って見物していると、
高らかにラッパが鳴り響いて、一同に、口を閉ざしてよっく承れと合図した。
すると伝令使が中央に進み出て、
ローマの執政官にして将軍ティトゥス・クィントゥス閣下は、
ピリッポス王率いるところのマケドニア軍と戦って
打ち負かし、
よってコリントス人、ポキス人、ロクロイ人、エウボイア人、アカイア人、
プティオティス人、マグネシア人、テッサリア人、ペライビア人
をば解放して自由の身となし、
マケドニアの守備隊は撤退せしめ、
向後こうごは貢ぎ物を納める要なきこと、
および、諸国に父祖の法を用いるべきこととし給うた、
と告げた。
しかしはじめは、すべての人々にはっきり聞こえたわけではなく、
競技場はてんでんばらばらにわあわあいう騒ぎになった。
人々は驚いて、
もう一度布告を言ってくれと頼んだ。
静粛になると伝令使は一段と声を張り上げて、全員に聞こえるように告げた。
そしてその布告が終わると、
人々の歓声が信じられないほどの勢いで海に達した。
見物していた人々は総立ちになり、
競技の選手が何をしているかなどはもはやどうでもよくなって、
皆が皆、一人のこらず、夢中になって跳び上がり、
ティトゥスに手を差し伸べて、
ギリシアの砦、救済者と呼んだ。
このとき、
それまで人間の声の大きさについて、しばしば大袈裟に語られていたことが、
現実となって人々の目に見えた。
たまたま上空を飛んでいた烏どもが、競技場に落ちて来たのである。
その原因は、
上空の空気が割れたことにあった。
大勢の人々の大きな声が上空に伝わると必ず、
そのために空が裂けて、
飛ぶものを支え切れなくなり、烏どもは、陥没にはまり込んだように滑り落ちた
のである。
もっとも、それこそ矢でも飛んで来て、
それに打ち落とされて死んだのかもしれない。
あるいはまた、
海の波があまり烈しいと、
回転して逆流を起こすように、上空の空気が渦を巻いた、
ということもあり得る。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 3』京都大学学術出版会、2011年、
pp.154-155)

 

あと三巻ありますけれど、
『英雄伝』を読み終え何年たっても、
戦争が終わったことを伝令使から告げられた競技場の人々の歓声の大きさによって、
空を飛んでいた烏が地に落ちて来たというエピソードは、
ほかのすべてを忘れても、
おそらく忘れないと思います。
というか、
プルタルコスさんといえば、
まずこの話を思い出すにちがいありません。
小学三年生のとき、
好きだった川上景昭(かわかみ かげあき)先生の怖い話とおんなじように、
忘れない。
本を読むのは楽しい。

 

・再校を送付して来る年の暮  野衾

 

個人業主が合わさって

 

社内のレイアウトを変えて一週間がたちました。
ひとりひとりが独立しつつ、個性をもって、それでいてゆるく連携している
をコンセプトにしての配置換え
でしたが、
おおよそそんな感じで収まったかなと思います。
へんなたとえですが、
社の入口をヘソにたとえると、
それぞれの机がヘソに対して肋骨のように斜めに置かれていますから、
お客さんがいらっしゃったときに、
顔をあげれば、
どの位置からもお客さんに対して向くことになります。
それと、
こんなふうに配置してみて分かったのですが、
それぞれの机の周りに空間ができたので、
「独立しつつ、個性をもって」
が具体的な形になったように見え、
また、そう感じます。
それぞれ独立して○○社、△舎、□本店、☆本舗、▽営業所、みたいな。
ちょっと商店街を歩くみたいな感じもあるし。
げに席替えはたのしい!

 

・バリカンを祖父が床屋の師走かな  野衾

 

時が満ち来る

 

もうすぐクリスマス。世はまさにクリスマス一色でありまして、
♪シャンシャンシャーンシャンシャンシャーン
とジングルベルの歌が、
あちこちから聴こえてきます。
この時期になると思い出す本があります。
恩師竹内敏晴さんの『時満ちくれば―「愛」へと至らんとする15の歩み』。
からだから始めて声を、声から始めてことばを、
ことばから始めて精神を、
レッスンを通して歩み思索し歩んだ本として読みました。
時が満ちくる。
わたしが行く、ではなく、時が満ちて、来る。
それが特別でないことをナウエンさんは切々と語っています。

 

「私は時が満ちるという体験はしたことがありません。私はごく普通の人間で、
神秘家ではありません」と言う人がいます。
確かに神の存在を独特の仕方で体験し、
それによって神の存在を世に宣べ伝える独自の使命を持った人はいます。
けれども、
私たちの誰もが――学識があろうと無学であろうと、
金持ちだろうと貧乏だろうと、
人々の目に止まろうと隠れていようと――
時が満ちて神を見る恵みをいただけるのです。
この神秘的な体験は、
少数の例外的な人々のためにとって置かれているわけではありません。
神はその贈り物を、
神の子どもたちすべてに、
何とかして与えようとしておられます。
けれども、
私たちはその贈り物を望まなければなりません。
注意深く、
心の目を醒ましていなければなりません。
ある人々には、
時が満ちる体験は劇的にやって来ます。
聖パウロにとっては、ダマスコへの途上で地面に倒れた時がそうでした
(使徒言行録9・3-4)。
けれども、
私たちの内のある人々には、
ささやきの声や背中にそっと触れる優しいそよ風のようにやって来ます
(列王記上19・12)。
神は私たちすべてを愛しておられます。
そして、
それぞれに最も相応しい仕方で、
私たちみんながそれを身をもって知るようにと望んでおられます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.417)

 

・いとへどもありがたき世に雪がふる  野衾

 

プルタルコスさんとロフティングさん

 

秋田のわたしの家にはかつて馬がいて、子どもの頃は、馬も家族の一員でした。
わたしの弟は、
馬に餌をやるとき、指をピンと伸ばしていなかったせいで、
指先を噛まれ、もがれてしまったことがありました。
馬が悪かったわけではない。
弟もそれはじゅうぶん知っていて、
もがれた指の痛さより、
家族に知られたくなくて必死にこらえたのではなかったか。
いまでは、むかしむかしの思い出だけど、
ことほど左様に、
馬は、弟にとっても、わたしにとっても、かけがえのない存在でした。
なので、
春風社を起こしてから、
近所の女の子から薦められ、
ロフティングさんの『ドリトル先生』を読んだとき、
そこに出てくる年取った馬の話は、
とても印象に残って忘れることができません
けれど、
プルタルコスさんの『英雄伝』を読んでいたら、
馬の話が出てきて、
主役のマルクス・カトーさんよりも、
プルタルコスさんの馬に対する思いの強さ深さとして、
きっと忘れられず、
これから何度も思い出すことになるだろう
と思います。

 

そもそも生命あるものを、履物や道具のように使うべきではない。
さんざん使って擦り切れたからといって、
捨ててしまうのはよろしくない。
ほかに理由がないにしても、博愛の精神を養うために、
こういう事柄に関して温和、かつ情け深い心を抱く習慣をつけるべきである。
少なくともこの私は、
働き手だった牛を、もう年だからといって手放したりはしない。
ましてや、
年をとった人間を、
その人が育った所や、慣れ親しんだ生活という、
言わばその人の祖国とも言える所から、
わずかばかりの金のために引き離すとか、
売り手にとって役に立たないものなら買い手にとっても役に立つはずがないものを売る
とか、
そういうことはしたくない。
しかるにカトーは、
この件に関しては若者のようにいきり立って、
執政官としていくたびかの戦いに使った馬をイベリアに遺した。
そして、これは、
この馬の運賃を国家に払わせないようにするためだった
と言った。
これを彼の誇りと見るか、
それとも吝嗇りんしょくの現われと見るか、
各自納得の行く論議に従えばよい
と私は考える。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 3』京都大学学術出版会、2011年、
pp.60-61)

 

訳された柳沼さんは解説で、プルタルコスさんを
「常識に富んだ教育者」とされており合点がいきます。
上で引用した箇所も、プルタルコスさんにとって「常識」のひとつかもしれません。
そして、
こういう文章を読むことにより、
翻訳してくださった柳沼さんの仕事により、
生成AIのよくわからない時代に生きているわたしは、
二千年ちかく前の時代に生きたプルタルコスさんを身近に感じることができ、
そのこころ根に感動を覚えます。
これも大きな読書の喜びです。

 

・冬凪や良き地へ招く汽笛かな  野衾

 

プルタルコスさんを読むのは

 

京都大学学術出版会から出ているプルタルコスさんの『英雄伝』はぜんぶで六冊。
1から3までは柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんが訳されていますが、
2008年7月29日に柳沼さんが他界されたので、
4から最終6までは
城江良和(しろえ よしかず)さんが訳されています。
第1巻の巻末に解説が付されており、
柳沼さんのそのことばが、
いまのわたしにはとても貴重に感じられます。

 

プルタルコスのは学問とは違う何か、
おそらく「教育」と名づけるほかない営みだと思える。
そしてそこで大いに発揮されているのは、学問的追求よりは教育的熱意であり、
根幹をなすのは、常に変わらぬ常識である。
プルタルコスは学者・研究者であるよりは常識に富んだ教育者であった。
常識という言葉は、
多くの場合軽蔑のために使われる。
「そんなのは常識だ」とか、
「単なる常識で深みに欠けている」とか。
深みに欠けるぐらいなら、即座に認めてもよいが、
「それは常識にすぎない」
と大威張りで言えるほど、人は常識をもっているとは私には思えない。
人が信じているよりはまれにしか常識人はいなくて、
だから、
そういう人と話をする、
あるいはそういう人の話を聞くときは、
完全にこっちの身をその人なりその話なりにあずけてしまって、
安心し切って話をしたり聞いたりする
ことができる。
するとこっちはいい気分になったり楽しくなったりする。
プルタルコスを読むのは、
そういう経験をすることだと私は思っている。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 1』京都大学学術出版会、2007年、
pp.439-440)

 

『エセー』を書いたモンテーニュさんが愛読し、
「万の心を持つ」作家といわれるシェイクスピアさんが英語訳で読んでいた
というのも宜なるかな、
であります。
時代はいっそう加速度を増しているようにも感じられますが、
だとすれば猶のこと「常に変わらぬ常識」が
いぶし銀のごとく、
しぶく光を放ってくるようです。

 

・消防団出でて集ひぬ藥喰  野衾