博論の書籍化について

 

1999年10月1日の創業以来、
約800点の書籍を刊行してまいりましたが、
一部の一般書を除き、
ほとんどが学術書です。
そのなかには、博士論文を書籍化したものも相当数ふくまれます。
ここ数年の体験からですが、
博論の書籍化にあたり、
担当編集者としてひとつ気づいたことがありました。
それは、
論文のジャンル、テーマはいろいろでも、
なんどか精読しているうちに、
著者がどうしてそのテーマを選び研究しようとしたのか、
ひょっとしたら、
本人も気づかないことがあるのではないか。
それが行間から見えてくるような、
そんな気がしました。
たとえていえば、
テーマを追いかける言説、論考の底に、
著者の声が眠っていると。
その声が聞こえてくるような気がしたのです。
これは面白い!
文章を通じて、
著者のこころの奥に住む、いわば子どもの魂と対話する、
そんな世界が見えてきたようにも感じます。
そういう感慨をふくめ、
このたび、
「無限の声を」というタイトルでポスターを作りました。
コチラです。

 

・春晝に東圃草除(と)る農婦かな  野衾

 

永田耕衣俳句集成

 

何年か前に買ってあって、
ぽつぽつちりちり読み進めていましたが、
この連休、思い立って一気に最後まで。
とは言い条、
根源俳句とか言われてもあまりピンと来ず、
「夢の世に葱を作りて寂しさよ」
をはじめ、
三つ四つ、五つ六つぐらいは、好きな句もありましたが、
それぐらいで。
それよりも、
巻末の、
自筆の年譜がめっぽう面白く、
たとえば、

 

昭和53年(79歳)8月31日、
早朝狭庭隅で野猫のウンコを踵で踏む惨事あり。臭気これに如くもの無し。
幼児生家の畑にて手掴みしたるよりはマシか。

 

とか、

 

昭和54年(80歳)1月12日、
黒赤色めく自糞におどろき、ユキヱと千恵子に見て貰ったが異常色に非ずという。安心。

 

ユキヱというのは奥さんで、千恵子は、同居していた長男の妻。
また、
知っている名前が多く登場し、
その点でも面白かった。
森信三、飯島耕一の名前がでてきたり、
宇多喜代子から手作りのゴマ豆腐を贈られたり。

 

・あけぼのの湖を霞の罩むるかな  野衾

 

アリストテレス

 

ステイホームということなので、
この間、古代ギリシアを訪ねていました。
なんて。
アリストテレスの『政治学』の最後の方に教育に関する記述がありまして、
そこを読んでいたら、
不思議な感覚にとらわれました。
2300年以上前に書かれた書物であり、
日本語に翻訳された言葉をとおして読むわけですが、
小学校に入ったころの気分がありありと
蘇りました。
国語、算数、理科、社会、体育、図工、音楽、…
このひとがせんせー、
学校って、
こういうことをするところなんだ、
なんのため?
なんでこういうふうに分かれているんだろ?
めんどうくさいな、
でもなんだかおもしろそう、
漠然とそんな気分に浸っていた気がします。
いちばんは、
なんといっても体育だったけど。
ボヨヨンの、小武海せんせいのあのお腹…
アリストテレスを読んでいると、
落ち着いた静かな語り口で、
勉強するのは、
幸福になるためなんだよと諭されている気になります。
幸福になりたいでしょ、と。

弊社は、本日より営業いたします。
よろしくお願い申し上げます。

 

・もう少しそこにいてくれ春の鳥  野衾