諸橋さんのエピソード

 

かつて山形県の講習会に出講した。会場はある山頂であったが、
会を終えて帰る時、
土地の人が乗馬を用意してくれた。
馬上ゆたかに四方の里を見おろす気分は格別であった。
山麓に近づくと村の子供が六、七人どやどやとかけ集まり、
路傍に整列して私に敬礼してくれた。
よほど素朴な土地がらであったのであろう。
ところがその中の一人、
六つか七つの児童だけは、何を考えたものか、
舌を出してあっかんべをしている。
明らかに私に対する反抗であり侮蔑(ぶべつ)であった。
しかるにその瞬間、
私はただその児童がかわゆくてかわゆくてたまらなかった。
馬から飛びおりて抱きあげたいような気持ちさえした。
話はただそれだけのことだが、
あとになってつくづく考えた。
相手をわが胸の中にとり容(い)れた時のみ感化は及ぶ。
「容(い)るれば乃ち公なり」
……
「善なるものは吾之を善とし、不善なるものも吾亦之を善とせん」。
もし自分が、いつもあの時のような気分になり得たら、
自分もいま少しはりっぱな教育者になれたであろうにと。
(諸橋轍次『誠は天の道』麗澤大学出版会、2002年、p.261)

 

わたしもかつて教師をしていた時期があり、
この文を読み、
いろいろ思うところがありました。
過去はどうすることもできませんが、
教訓として今日に明日に
つなげていくことはできるかもしれません。
諸橋さんは、
このエピソードをほかの所でも語っていますから、
よほど印象に残ったのでしょう。
書き下しの引用文は『老子』にでてくる言葉。

 

・早蕨をたずねフの字の老婦かな  野衾