幼いころ、ぼくの家は横浜の国道沿いでたばこ屋を営んでいた。
店内には祖父がつくった大きな作業台があって、
そこでお客さんたちはお茶やたばこを飲みながら世間話をしていた。
大学生、サラリーマン、主婦、スナックのママ、定年後のおじいさん……
止まり木で一休みする鳥のように、
毎日いろんな人がやってきた。
ぼくは学校から帰ると、
作業台の片隅にちょこんと座って、
大人たちの会話に耳をかたむけながら、
絵を描いたり、新聞をつくったりした。
そのゆるい空気が好きだった。
矢萩多聞さんの『本の縁側』まえがきにあたる文章の冒頭部分。
箱根駅伝の走路にもなっている交差点の角、
保土ヶ谷橋のその店を知ったとき、
すでにたばこ屋ではなく
アジアの輸入雑貨を扱う瀟洒な店になっていた。
わたしはそこで大きな木彫りのガネーシャを買った。
それが縁で、
たびたび店を訪ねるようになった。
そこに腰ぐらいまである髪を束ねた色白の少年がいた。
はたちまえのすらりと背の高い少年、
多聞という名のおとなしい少年だった。
インドやネパール、タイ産の置物にかこまれ、
少年はちょこんと佇んでいた。
オアシスのようでもあり、
縁側のようでもある店にはいろんな人が訪れ、
わたしも、
引き寄せられるように、
たびたびたびたび、
しらふだったり酔っぱらったりしながら訪ねるようになった。
三人で出版社を立ち上げて間もないころである。
いつしか少年とも話しするようになった。
少年は画が描けた。パソコンに強かった。なにより、
はなしが面白かった。
本を出さないかと持ちかけた。
そうしてできたのが『インド・まるごと多聞典』
星の時間の二十年。
少年は押しも押されもせぬ装丁家になった。
矢萩多聞さんが今回のこの図録の企画を持ってきてくれたことが、
わたしはなによりうれしかった。
・胡桃ふたつ擦(す)り合わすごと蛙鳴く 野衾