早春賦

 

・鶯の声にひかれて垣根かな

「春は名のみの風の寒さや」で始まる早春賦。
ならったのは中学生でしたかね。
音楽担当は小林恒子先生。
ならった瞬間好きになりました。
音楽の先生っていいなあ。
なんだか小難しい歌詞だなあと思いつつ、
しかし、
意味を追うほど賢しくなく、
意味そっちのけで大声で歌っていました。
「時にあらずと声も立てず」
とか
「さては時ぞと思うあやにく」
とか
「いかにせよとのこの頃か」
とか、
広い窓のある明るい音楽室で、
意味にあらずと声を立てていたわけです。
あの春も窓も今いずこ。
雪が融け
ぱんぱでぐなった(乾いて硬くなった)道を
買ってもらった新しい自転車で疾駆した空も無し。
小林先生も早くにお亡くなりになりました。
「春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる胸の思い」
だあなあ。
いかにせよとのこの頃この頃。
歌だけ残って。
もうなんもいらない気もし、
すぐに変わるけど、
泣きたくなって来る。

・春の空ゴミ収集車浚ひけり  野衾

洋楽三大ガツンと曲

 

・夢に見し女人背を向く春嵐

意味は分からないけど、
ラジオから流れてきたメロディを聴き、
カッコいいと思ったのは、
ビートルズのヘイ・ジュードが初めてでした。
秋田の父が初めて買ったクルマがトヨタのコロナの中古車で、
タクシーで使われていたものが
中古市場に流れたものだったと記憶していますが、
それはどうでもよく、
そのラジオからではなかったか
と思うのですが、
あのクルマにラジオ付いていたかなぁ?
あやしくなってきた。
まあいいか。
ヘイ・ジュードの発表が1968年8月といいますから、
小学生だったとの記憶と矛盾しません。
とにかく、
ヘイ・ジュード。
ら~ら~ら~らららら~、へいじゅ~、
てか。
それから、
ガツンとやられたのが
なんといってもスティーヴィー・ワンダーのアナザー・スター。
シャウトに泣きましたね。
ステレオ(オーディオと呼んでいなかった)の
ボリュームを上げすぎて
下宿のおばちゃんに怒られた。
そんでもって後半、
ら~らら~らら~ららら~ら~ら~。
相当ながい。
そして、
エリック・クラプトンのレイラ。
カッコよかったぁ!
これまた後半延々ながいながい!
三曲とも後半ひどくながいのが共通している。
たまたま?
以上、
わたしの洋楽三大ガツンと曲でした。

・ねぐらより来鳴き聞かせよ春告げ鳥  野衾

句を得る

 

・ひかりなのちび雪だるま会ひに来る

小西甚一先生の『俳句の世界』を読んでいると、
俳句を「つくる」でなく「よむ」でなく「ものす」でなく、
まして「ひねる」でなく、
「句を得る」という言い方がよくでてきます。

松尾芭蕉が得た句のひとつに、

在明(ありあけ)も晦日(みそか)に近し餅(もち)の音

があります。

小西先生、
はじめはあんまり大した句だと感じていなかったそうですが、
加藤楸邨がしばしばこの句を褒めるので、
それほどでもないぜ
と楸邨をやり込めるつもりで何度も読んでいたら、
不思議にだんだんだんだん良くなってきて、
こりゃやっぱり名句だ
と認めることになったのだとか。
小西先生にしてそうならば、
凡人のわれわれは推して知るべし。

在明も晦日に近し餅の音

ふむ。

・くたびれて精一杯の春となる  野衾

予定変更

 

・春嵐植木倒して駈けぬけり

日曜日、
散歩がてら、
中区若葉町にある
シネマ・ジャック&ベティに行くつもりが、
ものすごい嵐で、
雨が縞になって吹き荒れたりもしましたから、
その日一日だけ、
あるいは、
その日で終る興行ならいざ知らず、
しばらくやってる映画なので、
外せない予定があった家人は出かけてゆきましたが、
わたしはずっと家に居て、
本を読んだりコーヒーを淹れたり、
納豆と塩辛と味噌汁でご飯食べたり、
このごろさっぱり面白くないテレビをカチカチやったり、
面白くないと眠くなるので、
昼寝したり、
起きてトイレに行ったり、
風呂に入ったり、
あと何したっけ、
そうだ俳句を考えたり、
それから朝方見た夢にでてきたあのひと
一体だれだったんだ?
と悩んだりしているうちに一日が過ぎました。
夕方秋田の父から電話。
「だいじょぶだったがああ?」

・春疾風木も子も塀も権太坂  野衾

魅力の女人たち

 

・窓の春円地源氏の森を往く

いまふうに女性というのもなあ。
どぶろっくふうに
おんなおんなおんな~、おんなおんなおんな~、
てのもちがう気がするし。
やっぱ女人でしょう。
女性じゃなく女人、
にょにんと言っただけで、
なにやら時代がかってくるではありませんか。
さて、
切りのいい十度目の源氏物語は、
円地文子訳。
源氏物語には
氏素性、見目形、性格の異なる魅力的な女人たちが
あまた登場してまいりますが、
自分の周囲にいるあの女性この女性を
作中の女人に当てはめて読み進めるのもまた一興。
あのひとは、
くっくっくっ夕顔かな、
あのおばさんは弘徽殿女御でしょう、
若紫は、
ま、措いといて、
鼻がデカくて赤い末摘花はと、
いたいた、
それからえ~と
横浜高島屋の彼女はさしずめ花散里で、
日本生命の彼女は朧月夜か、
とかとか。
紫の上を乙羽信子が演った映画を観たことがありますが、
脚本が新藤兼人だから
さもありなんとして、
え~っこれが紫の上なの~
って思いましたけど、
乙羽さんでなく
どなたが演っても
きっとそう思ったでしょうね。

京都大学出版会から刊行された『学術書を書く』
の書評が図書新聞に掲載されました。
コチラです。

・願掛けし明石の入道春を待つ  野衾

歩きスマホはやめましょう!

 

・白梅や瞬時を争ふ清掃車

やむを得ず、
スマホデビューを果たしましたが、
たとえば、
画面にタッチするとき
力が強すぎ、
「いや~ん、そんなに強く触らないで…」
と言われたわけではありませんが、
画面がスライドしなかったり。
「なんだこのヤロウ!」
なんて。
まったく。
店の裏手の引き戸の前で
猫がうろうろしていておもしろいと思ったから、
どれ写真でも撮ろうかと、
やおらスマホを取り出し
二、三歩あるいたら、
撮影画面が上から薄暗くなり、
おおきく、
「歩きスマホはやめましょう!」
は?!
なんだよ。
二、三歩ぐらいいいじゃねーか。
ずっと歩きながらやってる奴いっぱいいるじゃねーか、
悪いことをして捕まった
洟垂れ小僧が先生に言うようなセリフを発している
アラカンでありました。

・祖母がゐて山菜採りの春となる  野衾

うだっこ

 

・なんとなく春の香すなりなんとなく

秋田ではいろんなものに「こ」を付けます。
わんこ、ちゃわんこ、がっこ、さげっこ。
お椀、お茶碗、たくわん、お酒のことですが、
秋田ではよく「こ」を付けるけど、
東京では「こ」を付けないと言われて東京にやってきた秋田人が、
たばこ屋で「たば下さい」
と言ったという笑い話がありますが、
「たば」ではいくらなんでも分からない、
たばこはたばこ。
目に見えるものだけでなく、
たとえば歌に「こ」を付けて、
「うだっこ」
と言ったりします。
「ええうだっこやってらや」(いい歌をやっているよ)
「うだっこきいでらが?」(歌を聴いてるか)
「うだっこ、えぇな」(歌はいいね)
きのうテレビを点けたら、
ええうだっこやってました。
あの番組、
秋田でもやっていたかどうか。
うだっこきいでらが?

・アラカンやいちご白書の歌を聴く  野衾