新体詩抄

 

・江ノ島や波とどまりてそぞろ寒

小西甚一の『日本文藝史』がいよいよ近代に入り、
ますます面白く、
ページに顔を近づけて読んでいたら、
こんな記述があって爆笑し、
そののち納得。

東京大学の社会学教授外山《とやま》正一(一八四八―一九〇〇)・植物学教授矢田部《やたべ》良吉(一八五一―九九)・哲学助教授井上《いのうえ》哲次郎(一八五五―一九四四)の共編著『新体詩抄』は、英米詩の翻訳十四篇と外山・矢田部の創作詩五篇を収める。文藝について素人の学者たちがこのような試みをしたのは、西欧文明の移入がいまの日本にとって緊要なのにも拘わらず、詩の分野において世人がまったく無知であるのを啓蒙してやるべきだ――という善意によるものだったろう。しかし、善意だけでまともな詩が出来るのならば、今来古往、詩の制作に骨身を削る人はひとりもいなかったはずである。だから、外山たちの腕まえについてとやかく論評する必要は、たぶん一ミリグラムも有るまい。ところが、やむなく『新体詩抄』を問題にするのは、それが新体詩というジァンルを提唱し、かつ定着させたからにほかならない。

*《   》内はルビ。

・朝寒の空に烏の鳴きにけり  野衾