一年の速さ

 

・ざわざわと荒れ模様の内外かな

一年の速さを感じる場面がいくつかありまして。
まず忘年会。
「かっちゃん、速いねー。こないだやったと思ったのにね」
「そうだよ。速いよ。毎月忘年会みたいなもんだよ」
「まったく」
かっちゃんは、
小料理千成の大将。
一年の速さを感じるお次は年賀状書き。
加齢のおかげもあり、
いろんなことをすぐ忘れるのに、
さてこのひとに書くことは、
と、
念をこめるや、
去年はあんなことを書いたんだったなあと、
スッと思い出すこともあり。
ま、
ごく短文ですから忘れない
ということもあるでしょう。
そして、
一年が一か月にも感じられるのが
新年のお祓い。
会社のお隣が伊勢山皇大神宮なので、
仕事始めの記念にと
毎年やってもらっているのですが、
やってもらうたびに、
一年経ったとは
まったくもって絶対に
何が何でもとことん信じられない。
うっそー!! まじー!!
てなもの。
ということで
また一年が経ってしまいました。
さて弊社は明日より
1月5日まで冬季休業とさせていただきます。
いつもこのコーナーを読んでくださり、
ありがとうございます。
みなさま、
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

・ぽとりぽと今し大地に年の暮れ  野衾

六つ

 

・動くたびネズミのごとき落ち葉かな

家人外出し、
わたくしは、
とくにしなければいけない急ぎのこともなく、
防寒具に身をつつみ
いそいそと出かけ、
まずは外に積んであるトイレットペーパー。
すぐ横のキッチンタオルを手に取り。
それから中へ。
メガネ拭きメガネ拭きと。
メガネ拭きはどこかいな?
あった!
それからそれから。
歯ブラシ二本。
あった!
それに糸楊枝。
これでよしと。
あとはコーヒー豆か。
忘れてないな。
忘れてないな。
休日アラカンの行動也。

・年の瀬の重き軽きの散歩かな  野衾

桜木町の片隅で

 

・杜の都聖歌歌いし日も遠く

むしゃくしゃした日の帰り、
JR桜木町駅頭では、
警察から一時追い払われたような形になっていた
ななめキャップ姿の
“ビッグ・イシューおじさん”が
手製の看板を相棒に、
声を張り上げておりました。
「ごくろうさま、ごくろうさん。
わたくし桜木町の片隅で、
こうしてこの雑誌を売っておりますが、
この雑誌、
一見薄いぺらぺらの雑誌ではございますが、
中身は決してぺらぺらではございません。
日本は今まさに一触即発、
たいへんな時代に差し掛かっているのでございまして…」
録音したわけでも、
手帳にメモしたわけでもありませんが、
おおよそそのような調子の口上で、
リズミカルな日本語が耳に心地よく響きます。
金言格言四字熟語が程よくちりばめられ、
寅さんの啖呵売を彷彿とさせます。
とくに、
「桜木町の片隅で」の文句にいつもヤラれます。
「桜木町の片隅で」
いいなあ。
ひどく疲れていても、
どんなにむしゃくしゃしていても、
この文句の破壊力は
なんとも凄まじく、
ついうっかり笑ってしまいます。
神様は、
どこで御手を差し伸べていて下さるか分かりません。
きょうはクリスマス。

・クリスマスチキン食う日かそうじゃない  野衾

コンセプト

 

・冬至ゆく気持ちちょんびり光度増す

「家じゃない。俺たちは、ヨコハマの一部をつくってる。」
JR桜木町駅で降り、
ホームから改札に向かおうとする階段の上に
でかでか、
クレイジーケンバンドのリーダー横山剣の
顔写真の横に
そう書かれている。
建設会社の広告ポスターでもあろうか。
言わんとするところ、
こころざしは佳しとして、
このコンセプト
何かに似ている、
どこかで触れている気がしました。
実際の物づくり、
あるいはサービスが、
そのこと自体を超え
何に資するかを問い、謳う…。
なんだなんだ。
そうだ。
ヤナセだ。
「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている。」
ヤナセはメーカーでなく、
輸入自動車と中古車の販売を業としているので、
具体物はつくっていない。
しかし、
「クルマのある人生をつくっている」
なるほど。
一方「家じゃない」のほうはどうかといえば、
建設会社だから家をつくっている。
が、
考えてみれば、
家づくりを通して、
またそれを超え、
あるいはとりもなおさず
「ヨコハマの一部をつくってる」
具体的な行為とは別に(観点を変えれば)何かをつくっている、
発想としては、
同じと言ってもいいのでは。
それぞれ独自の発想かもしれないし、
どちらかがどちらかを見、
あ、いいなあ
と思ったかもしれません。
いずれにしても、
こういうのは、
東京オリンピックのエンブレムとはちがい、
ありなのでしょう。

・東京の夜や電飾聖誕樹  野衾

六本木のアマンド

 

・短くてひかりつぶ立つ冬至かな

六本木にある大学にて打ち合わせ。
短時間ながら、
こちらの伝えたいことは
伝えられたと思います。
タバコは吸わねど
終えて一服、
そのような気分でしたので、
岡田編集長、専務イシバシ、私の三人、
らしく落ち着いてコーヒーを飲めそうな店を探す
も、
なかなか見つからず、
専務イシバシが六本木といえば
アマンドが有名
だと言うから、
四の五の言わずそこへ入りました。
白い壁と薄ピンクがトレードマークなのよ、
とかなんとかイシバシ。
思い入れでもあるのでしょうか。
六本木といえば、
「六本木心中」と「六本木純情派」
しか知らないわたしは、
ただ
「へ~、そうなの」
待ち合わせ場所として、
またテレビドラマのロケにも
よく使われたのだとか。
あ!
おめ~、若いとき、
ここで彼氏と待ち合わせしたな!

・堂に入るマスクライフの師走かな  野衾

新・映像の世紀

 

・昼のうち掃除済ませて冬至かな

今から二十年前、
「映像の世紀」というスペシャル番組が第十一集まで放送されました。
全部見ることは叶いませんでしたが、
いくつかは見ることができ
印象に残っています。
制作統括の河本哲也さんによれば、
「秘話も裏話もいらない! 誰もが知っている歴史を映像で伝える」
のコンセプトのもと、
“ビジュアルな紙芝居”にしようと考え、
インタビューを禁じ手にしたとのこと。
自分の足で稼いだ映像も貴重ですが、
文字によらず、
アーカイブ映像によって知らせた
ことが何より画期的でした。
あれから二十年。
いま、
「新・映像の世紀」が放送されています。
「新」のほうは六集まで。
昨夜は第三集
「時代は独裁者を求めた 第二次世界大戦」
第四集は、
2016年1月24日(日)NHK総合テレビ午後9時~
「世界は嘘と秘密に覆われた 冷戦」
忘れぬよう、
さっそくケータイの予定表にメモ。
旧「映像の世紀」は、
2016年元旦0時から一挙再放送されるようです。
ふむ。
紅白見ずに、
こっち見るかな。

・念じつつ一陽来復便が落つ  野衾

魚屋の息子

 

・冬鳩やいまキリストの受胎せり

今年の読書のいちばんは、
なんといっても
小西甚一『日本文藝史』全五巻でありますが、
小西先生の生家が
伊勢の魚屋だったということが
またなんともおもしろく。
古代から現代までの日本文藝を
豊かな海と見たとき、
先生はそこから大魚鮮魚を釣り上げて、
絶妙の包丁さばきで解体し、
その美味なるところを
わたしたちに供してくれたともいえるでしょう。
小西先生の書く本は
どれも、
実に大らかで、のびやかで気持ちがいい。
このジャンルの本を読み、
こういう感想を持つことはまずありません。
わたしが知らないだけなのでしょう。
しかし、
その感触が連想を「マルコによる福音書」へと誘います。
第一章一六節
「さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、
海で網を打っているのをごらんになった。彼らは猟師であった。
イエスは彼らに言われた、
『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる猟師にしてあげよう』
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った」

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の四十一回目が掲載されました。
コチラです。

・冬枯れの道に小さき箱ひとつ  野衾

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