一人謙和舎

 

 暑き世を焼いて腹まで染めにけり

新井奥邃が住んでいた謙和舎では、
いっしょに何人か寄宿していましたが、
朝五時起きだったそうです。
新井先生は、
その一時間前には起きていました。
わたしは、
今朝は四時半、きのうは二時半に起きました。
梅雨が明け、朝のめぐみをいただいています。

 朝焼けや時々刻々の五十年

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始まりと終わりのある世界

 

 キリストの霊峰這ひし百足虫かな

今月十四日の「秋田さきがけ新報」文化欄に、
拙稿が掲載されました。
「始まりと終わりのある世界」という題です。
サブタイトルは、
「『海の上のピアニスト』はなぜ船を下りなかったのか?」
PDFでアップしましたので、どうぞご覧ください。
あの映画、
『海の上のピアニスト』のことですが、
最初見たときからずっと気にかかっていて、
なにがそんなに気にかかるのだろうと
我ながら訝しく思っていたのですが、
今回原稿を書くにあたり、
DVDで見直し、
ようやく気がかりの糸がほぐれた気がしました。
ほ。

 涼風やモンテ・クリスト駆け抜けり

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気功する仁王像

 

 脳みそが耳より流る夏日かな

南さんから、本をいただきました。
あの南伸坊さんです。
仕事の打ち合わせが終っての帰りがけ、
「これよかったら、どうぞ。差し上げます」
「あ。どうも。ありがとうございます」
ということで、
いただいちゃいました。
『歴史上の本人』という、
南さんが書いた自作自演の変わった、
いや、スゴイ(!)本です。
南さんが歴史上の偉人たち、
二宮尊徳や松尾芭蕉や聖徳太子や西郷隆盛や金太郎や天狗に
心も体もなって、
歴史のナゾに迫るという、とってもスゴクて面白い、
そんでもって笑える本です。
金太郎や天狗が歴史上の人物か
という問題は残るにしても、
さほど大きな問題ではない。というか、全然ない。たぶん。
ぼくが好きなのは、
最終章の「運慶」で、
運慶作の仁王像は傑作としてつとに有名ですが、
南さんが自作自演の仁王像も、
運慶作に負けず劣らずの傑作です。
横浜に向かう電車の中でそのページを見、
プッと吹き出してしまいましたが、
夜、実際に生きて動く仁王像を目の当たりにすると、
だれが思ったでしょう。
木曜日は気功教室の日。
この頃参加している、
おそらく齢七十は越していると思われる男性は、
背骨を波のように動かすという
禅密気功の動きがよほどしんどいのか、
チラと見るたび、
運慶作の仁王像、とくに口の開き具合がそっくりに
汗だくだくで体を動かしています。
もう、仁王像が気功しているとしか思えません。

 きし麺の鼻毛茂れる夏日かな

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夏バージョン

 

 花火待つ我のこころの湿りをり

このホームページのヘッダー
(トップページ上部の横長の写真)が、
春バージョンから夏バージョンに変わりました。
写真は五十枚ありますが、
そのつど乱数的に現れるので、
なにが出てくるか分かりません。
まとめて見たい場合は、
トップページを開いたまま
更新のアイコンをクリックすると、
ページが切り替わって写真も替わります。
どうぞお楽しみください。
撮影したのは、ご存知橋本照嵩さんです。

 蚊遣香たなびく祖父の背中かな

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新聞布団

 

 夢に見し百足虫や覚めて払ひけり

昼食を済ませた後で、
机の後ろの床に新聞紙を広げ、
体を延ばして昼寝をします。
十分か十五分ほどですが、これがなんとも気持ちいい。
わずかな時間なのに夢を見ることもあります。
今、わが社では、
朝日新聞、神奈川新聞、秋田魁新報の三紙を
取っていますが、
床に敷く新聞によって見る夢が違うか、検証中です。
いずれにしろ、
これは紙の新聞だからできることであって、
電子書籍では絶対無理!
だって、機械が壊れてしまいますから。
新聞を布団に、本を枕に。
なんて贅沢なんでしょう!(笑)

 これでもかこれでもまだか百足虫かな

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小説

祖父出でて灰をインドへ午睡かな

朝起きてこれを書き、
風呂に入って気功をやったら読書の時間。
一日のうち、いちばん楽しい時間です。
バルザックは、まだまだありますが、
大物をやっつけましたので、
全部を一気に読むのはもったいない気もしますから、
あとはとっておくことにして、
おとといからアレクサンドル・デュマの
『モンテ・クリスト伯』にかかりました。
訳にもよるでしょうが、
こちらはバルザックと違ってすいすい読めます。
バルザックと同時代の作家ですが、違います。
共通するのはおもしろいこと。
とにかく面白い!
バルザックもそうですが、
小説っておもしれーなー、って思います。
世界史で習ったフランス革命の知識が役に立つのは
オマケ。
齢五十を過ぎ、折り返し地点を曲がって、
まがりなりにも人生観とよべるものが形成され
(てきたと思いたい)、
そういう時期だから、
古典とされているものを読むと、
自分の人生と引き比べて、
こんな人生もあるのだなあと、
頁から目を離し、
ホッと溜息が出たりするのかと思います。

ブルマンとジャズのぜいたく夏の午後

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 亡き人も出でて賑はふ午睡かな

高校の五年ぶりの同期会の案内がまいりまして、
とはいっても、
これまで一度も出席したことがなかったのですが、
年齢的にも五十を過ぎ、
なつかしい人に会いたくもなったので、
初めて出てみることにしました。
さて、そうした場合、困るのは服です。
なぜかと言えば、
フォーマルとインフォーマルの落差が激しく、
中間ぐらいの服の持ち合わせがないからです。
同期会にネクタイ姿で行くのもどうかと思うし、
かと言って、
ハワイ帰りみたいな格好も一考を要します。
というわけで、
昨日、投票を終えた後、いそいそと横浜駅まで出かけ、
いくつか服を見てまいりました。
ははあ、なるほど。
こういうのがいいかもな。
などと、独りごち、
でも、買わずに帰ってきました。
わたしの場合、どうも衝動買いの癖があり、
それがうまくいくこともありますが、
そうでないことも間々ありますので、
ここは急がず騒がず、
まだ時間がありますから、
ゆっくり考えて行動しようと思います。

 うつつより午睡の夢のちかくあり

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