台風や、このど〜んよりした曇り空のせいか、体がだるく重い。連休三日目、溶けそうな体をみずから鞭打ち出社、こういうときの紅葉坂はほんとキツい、キツいっス。
机に這いつくばりながらメールをチェックすると、来年の大河ドラマ『義経』のディレクター・黛りんたろうさんから原稿が届いていた。
スゴイなあ、ロケ先からも毎日のように原稿が送られてきたものなあ。休む間もなく今度はスタジオか。
「大河」をやるとゲッソリ痩せると聞いたけど、さもありなん。そういうキツさを跳ね返し困難な仕事を継続する原動力はただひとつ、「いいドラマ」を作りたい、の情熱。送られてくる原稿にそれが充ちている。
「大河ドラマ」がどうやって作られるか、ディレクターみずから明かす初めての本で、黛さんはじめスタッフ一同の情熱と、ものづくりの愉しさ、苦しさ、根拠が語られることになるだろう。
ん、這いつくばっていた体が、いつのまにかシャッキーン! と。だなあ。だるい体に同情や慰めは効かない、熱と力の根性焼き。
にしても、いいかげんに晴れろよ、空。
天気予報とかニュースを見るのに、朝、起きてすぐテレビをつけることが多いのだが、今どきは「今日の占い」みたいなことを、どのチャンネルでもやっていて、何を根拠にベスト12を割り出すのか、ほんと不思議に思う。
そんでもって、今日のいて座(わたし、いて座)の占いなんか、12コのうち最低で、対策として「納豆を食べよ!」とか言っていた。星座占いって、ヨーロッパ発祥のものと違うの? なんで納豆なの、ったくよ。
なんてね。ま、最低だったから文句言ってるだけで、これが、「今日のナンバー・ワン」なんて言われると、だはははは… ざまあ見ろ、強運だってことだあね、となるんだから、偉そうなことは言えない。
それはともかく、昨日は『インドを食べる』の著者にして、『インド・まるごと多聞典』にも登場するインド自由旅行の草分け的存在・浅野哲哉氏を社に招き、たがおと三人『インド大感情事典』の資料整理に夜まで掛かった。
1977年に始まった浅野さんのインド行は延べで916日、その間、描いたスケッチ約5000枚。500頁の本にしたら全10巻のボリュームになるのだから驚く。これを絞りに絞って、1冊の本にしようという大プロジェクト。
線(太くしなやかで柔らかい)と形とライブ感、この三つを演出したい。コンセプトは電話帳、参加型にして発見の喜びを封じ込めたい(とか、そういう、いかめしい言い方じゃなく、余白のところに気楽に落書きしたくなるような、そんな感じで)。
スケッチは圧倒的に人物画が多い。スケッチすることが楽しいだけでなく、コミュニケーションの手段ともなり、モデルになってくれたインド人は、浅野さんが描くスケッチが自分に似ていると、その絵の横にサインしてくれ、似てないと絶対にサインしてくれない、絵を通じての付き合いの中で、浅野さんは、日本では味わえない開放感を味わったのだという。
また、浅野さんのスケッチには、よく牛が出てくる。前世は牛だったと言うから、改めて浅野さんの顔を見たら、骨格なんかが、たしかにインドの牛に似てないこともない。縄文時代にインドから日本に渡ってきた人がいたとしたら、その人の血が自分に流れているような気がするんです、とも。
浅野さんの人物画、村、界隈のスケッチは、記録を超え、ひとの感情を超え、大感情と呼ぶしかない領域に達している。
自宅のベランダに、公園に捨ててあった鉄の屑篭と、道端に捨ててあった水道管を保護する鉄枠がある。どちらも汗をかきかき拾ってきたものだ。
外気に晒しているため、時間とともにどんどん錆びつき、朽ち果て、昨日のように台風ともなれば、鉄屑がコンクリートの上にばらばら散りばめられ掃除が大変。無用といえば無用だが、空気に触れて朽ちていく感じが好きだし、この感覚がどこかにリンクしているように思うから置いている。
たしか中学一年生の時、村中で大規模な田んぼの整備が行なわれ、何台ものブルドーザーが入って、土が根こそぎひっくり返された。その光景が巻貝の黒々の腹んなかみたいで面白く、絵に描いた。あの根こそぎ感、グロテスクでエロチック、内部が剥き出しになって外気に晒されプルプル震えている…。
サザエやツブ貝を食って、とぐろを巻いている黒い腹に噛みつき、ジャリリと音がする度、ツーンとあの掘り返された土の懐かしい卑猥な臭いが鼻を突く。
湿度の面ではまったく逆のオキーフの絵だが、ぼくの目は、共通する深度を見ているように思うのだ。
後から考えれば、そうすると、ぼくは、何かを見ていると思っているけど、見ているものから見られていて、ぼくの中の何かを見せてくれるものを、ただ面白がっているだけかもしれない。
何かに触れて朽ちる、は、安心を生む気がする。
若頭ナイトウの企画で、中条省平さんのジャズ本を出すことになった。タイトルは、今のところ『正しいジャズ入門』。
若頭が中条さんに会いにいったとき、タイトルはと訊かれ、はい、うちのシャチョーが『正しいジャズ入門』と言っちょりますと伝えたら、5秒間絶句したそうなので、ははは、中条さんが絶句するということは、『名刀中条スパパパパン!!!』の例もあり、わたしにとって最高の誉め言葉なので、これで行こうと考えている。
さて、若頭、原稿を読みながら、くっくと笑ったり微笑んだりして、なんとも愉しそう。聞けば、音楽に関する文章が昔から好きなのだという。今でこそ新譜のCDはショップで試聴でき、古いものならパソコンで検索すればほとんど試聴可能。が、10年前ではそれは不可能だった。
若き日の若頭、友達に尋ねようにも、若頭ほどに詳しい者が周りにいなかったらしく、仕方がないから、新聞や雑誌や本でせっせと音楽評を読んだ。若き日の若頭を想像し、こっちも、なんだか愉しくなった。
二つのコンセプトが考えられると思うのですが、と、哲学的思考を得意とする若頭、いともシャープに意見を開陳してくれたので、うん、第2のコンセプトで行こう、ということになった。さらに、何度読んでも面白いピーター・バラカンの『ぼくが愛するロック名盤240』のような本にしてくれ、とも頼んだ。
バラカンさんのあの本、取り上げているアルバムの、どこがどんな風に優れているかに終始していて気持ちがいい。つい聴いてみたくなるし、推薦盤を実際に買って聴いても、なるほどと思わされるものが多い。プライベートの見せ方も実にバランスよく、240枚に頬ずりしている感じが文章に滲み出ている。バラカンさんが一番多く持っているのがヴァン・モリソンというのも頷ける。
若頭が好きで一番持っているのは、ジェフ・ベック、だったかな?
ほかの分野のことはいざ知らず、出版、とりわけ編集についていえば、仕事への自信、情熱、想像は、校正、校閲の作業抜きには考えられない。
演出家の竹内敏晴さんから直接聞いた話で印象に残っているもののなかに、想像力は具体的なものに触れたときに初めて発動する、がある。なるほどと思った。なにも演劇の世界だけに限らないのだろう。
たとえば授業。教育哲学者・林竹二の授業は徹底的に具体的なもので、恐るべき「人間について」の授業は、大学生相手の場合でも、小学四年生相手の場合でも、内容にほとんど変わりはなかった。具体的な話に刺激され、小学生も大学生も、おのずから豊かな想像力を沸き立たせた。授業記録や写真にその姿が残されている。
小社から出ている『花と人の交響楽―スペシャルオリンピックスから共生自立の丘へ』に収録してある方で、九州佐賀で押花加工の薬品を開発販売しているクリエイトの豊増社長は、会社を始めた頃、花の特性を調べるのに、まず、花を “自分で食べてみた” と語っていた。唇が痺れたこともあったという。
編集についていえば、具体性の接触場面が校正、校閲だ。編集者にとっての文章は、豊増社長にとっての花と同じ、と考えたい。
一冊の本を仕上げるために必要な想像力、創造力、情熱の維持、きめの細かさ、迫力、なまなましさなど、すべてはそこから生まれてくると信じたい。
そこを離れ、離れたところでいくら頭を悩まし考えてもダメなのだ。むしろ、編集していて悩み始めたら、何度でも目の前の文章に戻り、文章を追いかけ、文章に追われ追い詰められることが問題の解決につながるだろう。
天才でもない人間が、人に見てもらえる仕事をするにはそれしかないと思うから、若い人には特にそのことを徹底して伝えたい。
仕事の打ち合わせで久しぶりに新宿へ行ってきた。待ち合わせの時刻より早く着いたので、天気はいいし風は気持ちいいし、ホームのベンチに専務イシバシと並んで座り、しばし、ぽっけー。
イシバシ曰く、先日明治学院大学に行った折、先生とゼミ生に加わり色々思い付くまま話していたら、イシバシさんて、なんだかパワフルで面白い面白いって、とても誉められた、そんなにわたしってパワフルかしらねえ…。
ああ、そりゃもう、あなたはパワフルだよ。パワフルに尽きる。パワフルオーラが全身から放たれているもん。そうね、この辺でニックネーム変えるか。専務イシバシ改め、トルマリンゆきこっての、どう? リングネームみたいでよくない?
「あははははは…」
「な、いいだろ!」
「いい、いい!」
「よし、じゃあ、そうしよう。トルマリンゆきこ、話は決まり。あははははは…。さっそく明日のよもやま日記に書くとしよう」
「でも…」
「なに?」
「ホルマリンと間違われないかしら」
「なに言ってんの、ますますいいじゃねえか。絶対に腐らない!」
「変じゃない?」
「変じゃねーよ。トルマリンゆきこ、仮に聞き間違えられてもホルマリンゆきこ、永遠のパワー!」
だはは、だはは、だはははは…
と、そうこうしているうちに、時間が迫り、ふたり何事もなかったかのようにサッと立ち上がり中村屋へ向かった。
きのう、おとといと冷たい雨が降っていたのに、今朝はすっかり晴れ渡り、ぽっかり雲など浮いたりして、なんだか気持ちいい。
パソコンに向かい、いつものように、さて今日は何を書こうかな、と、ひょいと窓の外を見たら、猫がいた。三毛猫。
盆栽棚の上にある、オブジェにいいわいと思ってかつてどこかから拾ってきた錆びた鉄屑が、猫にはちょうどいいぐらいの寝床で、そこにすっぽり収まり、ベランダの下10メートルほどのところを歩いてゆく人間を、つまらなそうに見たり、大きなあくびをしたり。と書いているうちに、猫は、外への興味を失ったか、くるんと体を丸めて、ぺたりと寝てしまった。ときどき耳をピンと立てる。
秋田の実家では、家畜も多かったが、猫もいた。代々黒で尻尾の丸いものと決まっていた。死んだ祖父トモジイが、二つの条件を満たす猫でなければダメと言ったからだ。あの頃のトモジイは威厳があったから、家のしきたりとして別に疑問に思わなかった。トモジイが鶏を好きなわけは晩年本人から聞けたが、猫が黒く尻尾の丸いものでなければダメの理由は聞けずじまいになってしまった。
今ぼくが勝手に想像するのは、黒い毛並みが光を反射し銀に輝く姿を良しとしていたのではなかったか、ということ。しなやかで強い感じがするではないか。トモジイを思い出すと、自分と似ているところが多く見出せるから、黒い猫についても、感覚的な好みの問題だったような気がする。あるいは、トモジイは高級がとっても好きだったから、黒い猫が単にそう見える、ということだったのかもしれない。
ところで、丸い尻尾というのは何なのか。ふむ。長い尻尾より丸いほうが可愛いとでもトモジイ思ったか、よく解らない。子どもの頃、近所の家や親戚の家に遊びに行って、長い尻尾の猫が出てくると、自分の家のと違うからギョッとしたものだ。
ん、いつの間に下りたのだろう。三毛猫がどこかへ消えた。