渡部淳先生を悼む

 

秋田の知人から連絡があり、
わたしのふるさと井川町の先輩でもある
日大の渡部淳先生が一昨日の今月二十日に急死されたことを知った。
「演劇的知の周辺」という先生のブログを拝見すると、
十八日、
ということは亡くなる二日前、
岩波書店から二十三日に上梓される
『アクティブ・ラーニングとは何か』の見本本が届いたことを記しておられる。
昨年の暮れ、
たまたまブログを拝見したら、
こんなことが書かれていた。
リタイアの年齢にさしかかり、
人生のスタンスを定める時期にきているのではなかと思いつき、
「これからはやりたいことだけやって生きていく」
と奥様に告げたところ、
共感の表情が浮かぶかと思いきや、
奥様いたって冷静、
「じゃあ、いままでと同じね」
と返されたのだとか。
そのことを笑いを交えて記しておられた。
年に何回かはふるさとに帰り、
庭木の手入れなどをしている写真がブログにあげられていた。
弊社の十周年のパーティに来てくださり、
おなじく秋田からわざわざ来られた当時の町長・齋藤正寧氏と
歓談されていたことがなつかしく思い出される。
ご冥福をお祈りします。

 

・冬の朝土の香の立つ厨かな  野衾

 

あやしうこそ

 

子どもの頃から十代、二十代頃までは、
じぶんがどんな風に変わっていき
どんな人間になるのかなぁと思ってふわふわしていた気がします、
いま思い返せばということですが。
ところが、
このごろは、
じぶんがどうにもこうにも、
こうでしかありえないということを思い知らされ、
あやしうこそものぐるほしけれ、
ではあります。
やっと徒然草を味わえる年齢になったのか
と思うことしきり。
「あやしうこそものぐるほしけれ」
を、
「ワケ分かんない内にアブナクなってくんのなッ!」
とした橋本治さんは、
昨年1月29日に亡くなりました。

 

・凧(いかのぼり)故郷の空の澄みわたる  野衾

 

ヘンリ・ライクロフトの私記

 

本好きのひとたちのあいだで夙に有名な
『ヘンリ・ライクロフトの私記』
イギリスの作家ギッシングが
自身の創作になるヘンリ・ライクロフトに仮託し、
日々の暮らしの感想や四季折々の移り変わり、
交友、読書について、人生観などを披瀝したもので、
なるほどこういうものがながく読みつがれてきたんだなと思います。
たとえば、
以下に引用した箇所など、
いちどスーッと読み過ごしましたが、
もういちど、
段落のはじめに戻って読みかえしました。
そうしたくなる箇所がこの本にはいくつもあります。

 

ランプを消した後で、ドアの所までくると、私はいつもふり返ってみるのである。
部屋は最後の燃え残りの光りを受けていかにもいごこち良さそうに見え、
たち去るにしのびなくなるほどだ。
ぬくぬくとした光りが、
輝く腰板に、椅子に、机に、書棚に映じている。
かと思うと、ある大きな書物の金文字からも反射している。
またこちらの絵を明るくし、あちらの絵にほのかな影を漂わせている。
おとぎ話にでてくるように、
書物たちは仲間どうしで話がしたくて私が出てゆくのを
うずうずして待っているのではないのか、
などとふと想像してみたくもなる。
消えかかった残り火から炎の小さな舌がめらめらと上る。
無数の影が天井や壁の上で揺らぐ。
満足しきった溜息を一つついて、私は部屋を出てゆき、そっとドアを閉めるのである。
(ギッシング作・平井正穂訳『ヘンリ・ライクロフトの私記』岩波書店、
ワイド版岩波文庫、1991年、p.219)

 

・馬柵(ませ)払ひ萬葉の春疾駆せり  野衾

 

荒木ちえ

 

梅谷心愛さんともう一人、
歌が上手いなぁと思えるひとをテレビで見ました。
荒木ちえさん。
漫画家志望の名古屋出身の方で、
東京に出てきたところ、
ご縁があったのでしょう、
新宿で流しで歌うようになったのだとか。
流しで歌っていた店にたまたま小椋佳がいて、
小椋さんが荒木さんのノドと歌に惚れ、
詞と曲を提供し、
この度アルバムをつくったとのこと。
アルバム名は
「泣かないよ」
徳光さんの歌番組にふたりが登場し、
なれそめについて話した後、
タイトル曲の『泣かないよ』を荒木さんが歌いました。
堂々とした歌いっぷり、
ゆっくりしたテンポとリズムながらノリが良く、
昭和の風情がどことなくただよい。
とてもなつかしく感じ、
なにかの曲に似ているなぁと考えあぐねていたところ、
ハタと思い当たりました。
テネシー・アーニー・フォードの
渋いあの曲『16トン』
どちらもつい体がうごいてしまいます。

 

・冬の山顫へる空の青さかな  野衾

 

ジージ泣かせ

 

『サンドウィッチマン&芦田愛菜ぶっつけ教室博士ちゃん』
というテレビ番組で見たのが最初。
梅谷心愛、
心愛と書いて「こころ」と読むようです。
その心愛さんですが、
いま小学六年生。
美空ひばりの熱烈なファンというだけでなく、
歌がすこぶる上手い!
サンドの番組で見て印象にのこっていましたら、
こんどは
徳光さんの歌番組にゲスト出演し、
『みだれ髪』を熱唱。
その立ち姿のすがすがしいこと!
徳光さん、
目をつむりじっと聴き惚れている様子でしたが、
心愛さんが歌い終わると、
ゆっくりしずかに拍手を送り、
「ジージは涙がでたよ」
と。
テレビを見ていたこちらのジージも
涙がでた。
涙が出たのは
ひとりふたりではなかったのではと思われます。

 

・御降(おさが)りや昭和平成窓の外  野衾

 

発行年

 

あたらしく出た本を読むことも
あるにはありますが、
圧倒的にふるい本を読むことが多いいわけで。
じぶんの興味関心から
ネットで検索し
古書で求めていざ読もうとして、
いつ出た本なのだろうと興味が湧き、
ひょいと奥付を見れば、
たとえば
わたしが生まれた翌年だったりして、
へ~、
ものごころもつかない頃に、
わたしとは関係なくこんな本が出ていたのかと
ちょっと不思議な気がします。
わたしと関係なく出ていた本を、
還暦を過ぎてやっと手にして読むのは、
玉手箱を開けるようでもあり。
箱入りの本、
それもホチキス止めのものでなく
貼り箱(パーツを糊で接着した箱で、つくるのに手間がかかる)入りの本
を
箱を逆さに二三度振って本を取り出す
ときなど、
封じ込められていた時間が目の前で解凍されていくようで、
煙こそ出ませんが
出てもおかしくないぐらい。
紙に印刷された本は、
音楽が奏でられる土地のようなものかもしれません。

 

・凧(いかのぼり)物思(ものも)ふ空の青さかな  野衾

 

幸福と幸福感

 

幸福感は主観的なものである。
どういう条件が整えば幸せか、と論じること自体ナンセンスなことなのだろう。
そうだとしてもその主観のもち方として、
それぞれの状況すなわち欲望充足度の歪さを受容する姿勢をもつこと
が得策であるとはいえそうである。
……話をぶち壊すようであるが、
私個人としては、
「幸福」、
つまりは「幸福感に浸ること」を最高のターゲットとして暮らす生き方そのものが、
実は、大変危ういことだと考えていると書き添えておきたい。
(『小椋佳 生前葬コンサート』朝日新聞出版、2013年、p.43)

 

11日の土曜日、鎌倉を歩いていたとき、
知人が
「昼から焼き鳥をつまみに飲めるなんて幸せね」
と。
見れば、
店の前のテーブルに外国からの旅行客だろうか、
数名がパイプ椅子に腰かけ、
あつあつの焼き鳥を頬張りながらビールを飲んでいた。
幸せか…。し・あ・わ・せ。
シワとシワを合わせて…なんてCMもあったな。
シアワセってなんだっけってCMも。
上の引用は、
たまたま読んでいた小椋佳の本に出てきた言葉です。
小椋さんは、
「幸福」=「幸福感に浸ること」を前提に考えているようですが、
そのことに同感するわたしがいる一方で、
そうではないだろうと抗いたい気持ちもあります。

 

・農の手の栞紐置く初日記  野衾