カフカさんの日記 3

 

本日より「よもやま日記」を再開します。

カフカさんの日記は第一次世界大戦の期間を含んでいます。
日記のなかに、うつろいゆく日々の喜び、悲しみ、いかり、慰めを発見する
たび、
いわゆる歴史書とはまた違った印象をもちます。
汽車旅で見聞きしたことの記述。

 

1915年4月27日
…………………
涙ながらに別れを告げている老夫婦。意味もなく繰返される数知れぬキス。

ちょうど、絶望しているときに
そうと知らずきりもなく煙草に手をだすのと同じである。
周囲にお構いなしの家庭的な振舞。どこの寝室でもこういう具合なのだ。
彼らの顔の特徴は、まるで分からない。
女の方は目立たない老女だ。
もっとまぢかに眺めれば、いや正確にはもっとまぢかに眺めようとすれば、
彼女の顔はすっかり溶けてしまい、
何やら小さな、同様にはっきりしない醜さの弱々しい記憶、
例えば赤い鼻とか幾つかのあばたの痕が残るだけである。
男の方は
半白の口髭、大きな鼻、紛れもないあばたの持ち主である。
釣り鐘マントとステッキ。
非常に感動しているのに、自分をよく抑えている。
悲しく痛ましげに老妻の顎を手で挟む。
老女の顎を手で挟むことにどんな魔法があるのだろう。
ついに二人は泣きながら互いに顔を見合わせる。
彼らがそう言ったわけではないが、
その光景はいかにもこんな意味に取れた。
すなわち、
わたしたち二人の年寄り同士の結びつき
というようなこんなみすぼらしいちっぽけな幸福さえ、
戦争のために滅茶滅茶にされるんです、
と。
(カフカ[著]谷口茂[訳]『決定版カフカ全集7』新潮社、1992年、pp.336-337)

 

万感の思いがあふれるようなこのシーンから、
『戦争と平和』中の登場人物、プラトン・カラターエフを思い出しました。
なにげないこういう場面に、
書き手のこころがこめられていると感じます。

 

・聞きとれぬ母の口元見つめをり  野衾