一茶さんへの称賛はさらにつづきます。
口語の問題に就いてはなほ一言すべきことがある。
歴史的にいふと、
宗鑑・守武の時代から発達して来た俳諧の形の上の一特色は、
日常語・俗語を自由に使用する点にあつたので、
貞門でも談林でもそれを継承したのであるが、
それは口語を卑俗と見て故らに卑俗の語を弄したところに、意味があつた
のである。
しかし談林の一面には却つて古代語や漢語を重んずる傾向が生じ、
蕉風に至つては全体としてむしろ口語から離れる
やうな態度を示して来た。
俳諧の特色を、
言語の上に置くよりは題材や趣味の上に求めるやうになつたのと、
俳諧に詩歌と同様の(当時の人の考に於いて)
高い地位を与へようとする俳人の要求とが、
口語を卑俗とする尚古主義・文字崇拝主義の世の中に於いて、
かういふ形をとらせたのである。
しかし鬼貫などは盛んに口語を用ゐてゐるし、
蕉風の末流でも也有の如きは方言・俗語をかまはずに使つてゐた。
が、
蕪村を初めとしてその時代の作者は、
やはり上代語や漢語を好む傾向を有つてゐたので、
白雄の如きも俗言でなくては俳諧でないといふ説を非としてゐる
(白雄夜話参照)。
目前の事物、日常の用語を卑俗としてゐる社会に於いては、
さう考へらるべき一面の理由がある。
ところが、
一茶は全然それと反対の態度を取つた。
さうして、
詩に於ける高卑雅俗の区別は言語の上にあるではなくして思想の上にあること
を、事実によつて証明したのである。
現代の思想をのべるには現代語を要し、
目前の事物を叙するにはやはり日常語を要する。
田舎の風物、田舎人の生活を写すに田舎語を要することは、
勿論である。
国学の勃興と共に上代ぶりが好まれ、
小説界に於いても
馬琴などが上代語や漢語を列べて得意がつてゐた時代に於いて、
一茶のこの着眼は特に讃嘆に値する。
この点に於いても彼は文学史上に特筆大書せらるべき功績をのこした
ものといはねばならぬ。
これを要するに、
一茶は俳諧の作者ではなくして俳諧の人であり、
職業としての俳諧師ではなくして人間としての俳人である。
さうして人間としての追随者が出来ないと同様、
俳諧に於いても他人の模倣を許さざるものであつた。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.331-332)
シリーズ「津田先生がおっしゃるには」、4まで来てしまいました。
無手勝流ではありますが、
これまで俳句をつづけてき、いまも飽きずにやっている関係上からも、
わたしは津田先生の本をおもしろく読みました。
岩波文庫の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』ですが、
ただいま最終巻の(八)、
江戸時代の漢詩について津田先生の舌鋒が冴えわたります。
・聖誕祭電車遅延のアナウンス 野衾