年末年始にかけ帰省した折、寝室の本棚にある新潮社の『カフカ全集』
が目に入りました。
どれどれ。第七巻は日記。まだ読んでない。
なんとなく気をひかれ、手にとって読みはじめたら、
やめられなくなりました。
居るあいだにぜんぶは読み切れなかったので、
横浜まで持ち帰りました。
1911年12月16日 日曜日
いま昼の十二時だ。午前中は眠ったり新聞を読んだりしてのらくら過ごした。
プラーク日刊新聞のために批評を一つ書かねばならぬという心配。
こういう書くことに対する心配は、
つねにこんなふうに現われる。
すなわち、
ぼくはたまたま机についていないときに
これから書こうとすることの出だしの文章を考え出すが、
すぐにそれは役にたたない、味のない、
結びに到達するずっと以前に分解してしまうものであるということが判り、
そして
その突き出た断片で悲しき未来を示しているという具合に。
(カフカ[著]谷口茂[訳]『決定版カフカ全集7』新潮社、1992年、pp.139-140)
この日の日記は、もっとつづいていますけれど、その冒頭部分。
カフカさんの小説は小説でおもしろいのですが、
日記のちょっとした記述に共感を覚えると、
あるあるそういうこと、となり、急にカフカさんが身近に感じられてきます。
それと、
こういう欠片から、
カフカさんの感性の一端を垣間見る気がします。
・一陣の風に芽を吹け蕗の薹 野衾