小学生のころ「道徳」の時間があって、
いまから思えば、
あれが、
ひろく哲学の本を読むきっかけになっていたかもしれないと思います。
宮沢賢治さんの本を好んで読んだのも、
どういう人生をこれから送りたいか
を、
本を読みながら自分で考えていたような。
陽明学では知行合一(ちこうごういつ)ということがいわれますが、
西洋哲学の祖ソクラテスさんは、
まさに知行合一の人であったと思います。
賢治さん、陽明学、ソクラテスさんに限らず、
道徳の根本は、
ものを知っているだけではだめで、
行いを伴ってこそ力が発揮されるものであると考えます。
いま読んでいるプルタルコスさんにも、それは当てはまる気がします。
生まれながらにして彼の性格は、あらゆる徳に合致するように調和していたが、
さらに、
教育を受け、苦難をなめ、知恵を愛する心をもって己を耕したおかげで、
とがめられてしかるべき感情の起伏ばかりでなく、
暴力だの貪欲だのという、
異邦人の間ではややもすれば高く買われることもあるものを排除し、
理性を自分の体内に閉じ込めてしまうことこそ、
真の勇気だと考えた。
その考えによって彼は、
自分の家じゅうからあらゆる気ままな贅沢を排除し、
全市民、すべての外国人に対して、
非の打ち所のない裁き手または相談相手として自分を使ってくれるようにと差し出し、
自分はと言えば、
暇があってもそれを贅沢や浪費には振り向けず、
神々に奉仕し、
さらに、
理性によって神々の本性や能力を観照することに費やして名声を博していた。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 1』京都大学学術出版会、2007年、pp.178-9)
引用した箇所の冒頭の「彼」とは、
王政ローマにおける第2代の王ヌマ・ポンピリウスさんですけれど、
訳者である柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんは、
ここに注を付しており、
この辺りの文章は
「資料に照らしてヌマの性格について真実を語ろうとしたというよりは、
プルタルコスの自己形成論、教育論の一端を披瀝していると思える。」
とのこと。
プルタルコスさんの「雨ニモマケズ」の精神が発露
されている箇所だと思います。
・キヤンパスをさざめき交はす落葉かな 野衾







