歴史から客を迎える

 

ことしのゆるい読書計画に入っていたプルタルコスさんの『英雄伝』ですが、
あっという間に時は過ぎ、
気がつけば師走。
プルタルコスさんを読もうと思ったきっかけは、
モンテーニュさんの『エセー』でした。
さいしょ岩波文庫の原二郎さんの訳で読み、
数年前、関根秀雄さん訳で再読した『エセー』(関根さん訳は『モンテーニュ随想録』)
ですが、
あの深い味わいのある『エセー』を書いたモンテーニュさんが
『旧約聖書』の「伝道の書」(コヘレトの言葉)と
プルタルコスさんを愛読していた
ことを知り、
へ~、そうなの、そうですか、
ならば読むしかないだろうと思ったのでした。
『英雄伝』は、「対比列伝」とも訳されるように、
古代ギリシアと古代ローマの互いに似ている
(そうでもないという噂もありますが)政治家あるいは軍人を並べた伝記で、
書き手のプルタルコスさんが自身のことを語ることは極めて少ない
ようですけれど、
しかし、無いわけではなく、
以下の箇所などは、
伝記好きにはたまらない味わいと感じられます。

 

私は、人様に読んでもらうために伝記を書き始めたのだが、今や自分のためにも、
他へ目を転ずることなく、伝記を書きつづけるのが楽しみになってきた。
歴史を言わば鏡のように使って、
書いた人々の徳を手本にして、
自分の生き方をそれと同じように美しくしようと思うからである。
とはつまり、
私はこういう人々といっしょに日々を暮らして生きているようなもので、
言わば、
その一人一人を順に、
歴史から客として迎えて同席している。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 2』京都大学学術出版会、2007年、p.236)

 

想像するに、
引用した文のこころは、
訳者である柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんのこころでもあるのだろう
と思います。
なぜそう思うかといえば、
とくに会話文における言い回しが、
古代ギリシアや古代ローマの人なのに、
日本の戦国武将が口角泡を飛ばし語っているようにも感じますから。
たとえば「じゃによって~」には、
つい笑ってしまいました。
だって「じゃによって~」だもの。

 

・冬うらら武蔵小金井駅の寂  野衾