恋するこころ

 

『古今和歌集』の1038番は、

 

思ふてふ人の心の隈ごとに立ち隠れつつ見るよしもがな

 

「隈」は「くま」。片桐洋一さんの通釈は、

 

「お前のことを、いとしく思っている」と言うあの人の心の中の、
見つかり難い場所にこっそり入り込み、姿を隠しつつ、
お心がほんとうにそうなっているのか、この目で確かめたいことでありますよ。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』講談社学術文庫、2019年、p.541)

 

千百年以上前の、恋したときの人のこころを歌った歌ですが、
まったく古びていません。
というより、
人間のこころが、千年どころか、万年たっても、
そうそう変るものではない、
ということになるでしょうか。
一昨年十一月に斉藤恵子さんのライフワークである夏目漱石の論稿を編集し、
弊社から出版しましたが、
斉藤さんの快諾を得、
タイトルを『漱石論集こゝろのゆくえ』としました。
漱石の代表作である『こゝろ』が、これからどのように読み継がれていくのか、
それと、
そもそもの人間のこころが、
これからどんなふうに変貌を遂げていくのか、
そのダブルミーニングをタイトルから感じてもらえれば、
と願ってのことでした。
「隈」は、
引用した歌の場合、
「人から見えにくい場所」の意ですが、
もともと、
「川や道の曲がりくねった場所」というのが原義だそうで、
こちらもなかなか味わい深いと思います。
川や道と同じように、
人のこころも真っ直ぐであることはなかなか難しく、
くねくね曲がりくねっていそうです。

 

・どんどの火四大の天を降り来る  野衾