紫式部がどんな顔をしていたかはわかりませんが、一応美人ではなかったかと思います。
というのは、
紫というあだ名があったくらいですから、
小説の紫の上と同じような顔、
あるいは同じような髪をしていたのではないでしょうか。
紫の上が美人でなければ光源氏が魅かれるはずはないし、
また美人でなければ紫式部は紫の上になぞらえられることもなかったでしょう。
変な論法ですが、
私はおそらく紫式部は美人ではなかったかと思います。
しかし美人であっても、
そうでなくても、
紫式部の一番の特徴は顔ではなく、
人間の心をよく知っていたことでした。
人間の永遠に変わらない情《なさけ》を十分に知っていました。
もし彼女が非常に美人であり、ものすごく知恵があって難しい漢文の教典が読めても、
それがなければ私たちは『源氏物語』を読むことはできなかったでしょう。
幸い彼女は、ほかの人に比べられないほど、
人情、人間の心をよく知っていました。
そしてそのおかげで私たちは今日、
『源氏物語』を読むことができるのです。
(『ドナルド・キーン著作集 第一巻 日本の文学』新潮社、2011年、p.309)
この文章はとどこおりなく読むことができ、
なるほどと思わせられますし、さすがキーンさん、となるわけですけれども、
わたしが高校時代、
物理の先生の開いたままのチャックのズボンに目が行き、
授業の内容よりも、
チャックのことが気になって気になって
仕方がなかったように、
この文章には、
一つだけ気になる単語があります。
それは「一応」。
さいしょ読んだとき、笑いましたもんね。
「一応」て。
・卒業式前文房具店に寄る 野衾