紀貫之と『万葉集』

 

ところで、『万葉集』を見ると、
夕されば小倉《をぐら》の山に鳴く鹿は今宵は鳴かず寝《い》ねにけらしも
(巻8・1511)
夕されば小椋《をぐら》の山に臥《ふ》す鹿の今宵は鳴かず寝《い》ねにけらしも
(巻9・1664)
とある。
ただし、これは大和の小倉山であって、
『古今集』の小倉山とは違うが、
「小倉山」と「鹿」の結びつきのパターンから見て、
貫之が『万葉集』を読んでいた証拠の一つとも見られる。
ついでに言えば、
貫之が『万葉集』を読んでいたことは確かだが、
今の『万葉集』と同じ形のものを読んでいたかどうかは、
必ずしも明らかではない。
貫之の歌に現れた『万葉集』の影響をつぶさに洗い上げることによって、
彼が用いた『万葉集』の実態を明らかにしてゆく必要がある
と思われるのである。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』講談社学術文庫、2019年、pp.220-1)

 

へ~、あの貫之さんがね~、
友だちではないけど、
さん付けしちゃうもんね~、
『万葉集』をね~、
そうですか。
こういうところに静かな感動を覚えるわけですが、
引用した文章は、
朱雀院の女郎花《をみなへし》歌合《うたあわせ》のときに、
「をみなへし」という五つの文字を歌の各句の頭に置いて紀貫之が詠んだ歌、

 

小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき

 

の【鑑賞と評論】の項目のところに書かれてあるもの。
小倉山の「を」、峰立ちならしの「み」、鳴く鹿のの「な」、経にけむ秋をの「へ」、
知る人ぞなきの「し」。
なるほど。
「を」と「み」と「な」と「へ」と「し」
を頭に置きつつ、
歌としてもちゃんと成立している
あたりが、
つらつら慮る(ダジャレですが)
に、
天才的歌人紀貫之の紀貫之たる所以というわけなのでしょう。
また、
『万葉集』と比べ、
こういう遊び的要素が加わっているところに、
『万葉集』とは一味ちがう『古今和歌集』ならではの面白さがあるようです。

 

・一刻の刻み見えざる風車  野衾