生命線

 

電話番号を数多く覚えていられる人はほとんどいないために、
若年成人たちの間では、
携帯機器がネットワーク・メンバー間の「生命線」となっている。
固定電話によるつながりは、
「なくした」携帯電話の代用として満足を与えるものにはならない。
人びとは、
つながりのない無人の荒野のなかで途方に暮れてしまう。
調整をするための道具がなければ、
身体による旅をすることは少なくなり、
顔を合わせた出会いも少なくなるだろう。
(ジョン・アーリ[著]/吉原直樹・伊藤嘉高[訳]
『モビリティーズ 移動の社会学』作品社、2015年、p.266)

 

半生を振り返り、
決して生きることをサボってきたつもりはないのに、
ジョン・アーリの
『モビリティーズ 移動の社会学』
を読んでいると、
なんだか、
じぶんの足許がもろく、ぐらついて、
知らぬ間に、
こんな途方もない荒野へ投げ出されてしまっていたのか
の感が拭えません。
ジョン・アーリは、
「移動」を現代社会を見るときの根本に据えた社会学者ですが、
この本は、
彼の集大成といっても過言ではない
ものだと思います。
数年前、
すでに「若年成人」ではなくなっていたわたしは、
携帯電話を失くし、
それでも、
文字どおり途方に暮れた。
いまだに、
携帯電話を失くして途方に暮れ、
世界の終り、
みたいな気分に襲われる夢を見ることがあります。
この本の訳者である吉原直樹さんと
「都市をめぐって」
をテーマに対談することが決まっており、
その内容は、
次号「春風新聞」に掲載する予定。
乞うご期待!

 

・春隣盲導犬の尾の揺るる  野衾

 

同じタイトル

 

このブログのきのうのタイトルは「朝のコーヒー」
書き終わってしばらく経ち、
同じタイトルで以前書いたことがあったような気がして調べたら、
やっぱりありました。
ブログを始めて数年は、
同じタイトルにならないように気を付け、
前のを確認していましたが、
このごろはその作業を怠り、
同じタイトルがあってもいいか、
という気持ちで書いています。
ちなみに「朝のコーヒー」のタイトルで書いたのは、十年ほど前になります。
同じタイトルながら、
豆をひき、サイフォンでコーヒーを淹れて飲むまでを、
割と詳しく書いてありました。
似たような文章ですが、
すこしちがう。あと、若い。
もう少し力を抜いたら、と、言ってあげたい。
ながくお読みくださっている皆様、
同じタイトルがあったら、
ごめんなさい。

 

・春立つや三十円で買えるもの  野衾

 

朝のコーヒー

 

朝、このブログを書いて、ツボ踏みのボードを三十分踏み込んだら、
コーヒーを淹れます。
お湯は、南部鉄瓶で沸かしてから。
豆は、
今週はブラジルとエルサルバドルのもの。
ブラジルは定番で、
もう一つは、
コーヒー店のおススメを。
ふたつの豆を同量ブレンドして淹れます。
昨年暮れに上梓した『教育のリーダーシップとハンナ・アーレント』
の訳者三名と座談会を行うことになり、
いい機会と思い、
アーレントの主著も読んでいるところですが、
ウィキペディアに、
アーレントは、
朝ゆっくり起きてからコーヒーを何杯も飲む
のを日課にしていた
との記述あり。
わたしは、一杯、多くて二杯。
コーヒーを飲むと、時間がゆっくり溶けだし、
思考が巡ります。
いろんな人が書いた珈琲にまつわるエッセイ『こぽこぽ、珈琲』
(河出書房新社、2017年)
は、
疲れると読み返す本の一つ。

 

・試験終え自転車磨く春隣  野衾

 

むずかしい本に疲れたら

 

むずかしい本を読んで疲れたら、
本を閉じて、
散歩するとか、
好きな音楽を聴くとか、
遠くの山をしばらく眺めるとか、
いろいろあるわけですが、
思い出したように、
わたしがたまにやるのは、
Amazonの本の検索で「岩波少年文庫」と入力すること。
スクロールし、
つぎつぎ現れる表紙を見ているだけで、
読んだときのことが蘇りますし、
読んでいないもの(こちらの方が圧倒的に多い)
は、
どんな物語だろうか、
と、
いろいろ想像を膨らますことができて、
楽しい。
2011年に、
宮崎駿さんの『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』
が出版され、
すぐに買って読みましたが、
「岩波少年文庫」のファンであるという宮崎さん
のこころの籠った記述から、
「岩波少年文庫」が
ますます好きになりました。
近くに住むひかりちゃんが貸してくれたメアリー・ポピンズ
のシリーズも
「岩波少年文庫」に入っています。
ひかりちゃんが読み、
ひかりちゃんのお母さんが読み、
ひかりちゃんのお母さんのお母さんが読んだ本
だったと思います。
さてと。
コーヒー、淹れようかな。

 

・けざやかや化石の森は春隣  野衾