かつて体調を崩していたころ、
眠れない日々がつづいたことがありました。
医者にかかっていましたから、
睡眠薬、睡眠導入剤を処方してもらうことも可能だった
とは思いますが、
そうしませんでした。
じっと天井を見て一時間、
寝返りを打って一時間
と、
眠れない時が過ぎていきました。
そうした体験があったから尚のこと、
眠ること、眠れることのありがたさがつくづく思われます。
いまは九時過ぎに床に就きますが、
知らぬ間にスッと眠っているようです。
夏目漱石の小説に、
登場人物が、
眠りの境い目を確認しようと図る場面があったと記憶していますが、
そんなことを意図すれば、
眠れるはずなどありません。
「ここが境い目」
と感じることは、
覚醒の意識がまだ残っていることの証でしょうから。
眠りというのは、
「いつの間にか」「自然に」
であって、
がんばって眠るというのは語義矛盾以外の何ものでもありません。
がんばるの語源は「我を張る」
だそうで、
我を張っていては、とてもじゃないが眠れない。
我を張らず、
「一日の苦労は一日にて足れり」
と、
身を横たえるしかなさそうです。
・春光やカーテンの影濃くなりぬ 野衾