人生をマラソンにたとえ、折り返し地点を過ぎた、
あるいは、
山登りにたとえ、ピークを過ぎた、
というような言い方をし、
加齢とともにそういうたとえがしっくりくる年齢にわたしもなりまして、
そうだな、との感慨がないではないけれど、
それは、
人生をいわば水平にとらえての見方か、
とも感じられます。
時間は不可逆ですし、能力には限界があり、
まわりの植物、動物を見れば、
ニンゲンだけ例外というわけにはいきません。
しかし、
軸を水平から垂直にもってくると、
時間や能力とは一切関係なく、
いのちあるそのときどきでピークがあるのではないか、
という気がします。
道元なら「而今」というでしょうか。
いま、このとき。
『聖書』なら、
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛せよ」
でしょうか。
感覚でとらえることではない気もしますが、
前方を見ていても、
下を向いていても、
いのちが上に向いていると実感する、
あるいは実感したい、
そういう時が確かにあって、
今の年齢でもあるし、
ことばをよく知らない幼い頃もあった気がします。
これからもそうでありたい。
水平のピークは、
たとえば競技場のメダルですが、
垂直のピークは、
謙虚による大和(たいか)、共生、
ということになるでしょうか。
生死に関係なくゴールはなさそうです。
・春泥を待ちて佇む農夫かな 野衾