奥邃の文

 

・風薫るかつてこの地の古墳群

仕事がら、
いままた奥邃の文章を読んでいますが、
奥邃のは、
かつて読んだ文のだれともなにとも似ていない。
似ていないということは、
独特の味わいがあるということで、
広やかな伸びやかな気に触れ、
息が深くなるように感じます。
奥邃の文には
「わたし」がまとわりついていない。
そこがほかの書き手と決定的にちがう。
清潔が天国への第一歩ということですから、
冗談でなく、
深い本気が文にも現れているのでしょう。
捨て身、
ということでもないけれど。
則天去私と有神無我は似て非なるもの。

・薫風や汽笛の音を載せ来たり  野衾