・見上げれば音無き機体秋に入る
本が増殖中です。
保土ヶ谷の自宅、会社、秋田の実家。
実家の父は、
大工を呼んでどでかい本棚を作ってもらったものの、
それもすぐいっぱいに。
一生読むだけの本はもう
あるはずなのに、
それ以上に買ってしまいます。
なぜそうなってしまうか。
いま仮に、
一冊の本をおもしろく読んでいるとします。
すると、
だいたい、
そのなかに別の本のことが出てきます。
ちらと、
わずか一行で紹介されていても、
なんとなく気になる。
いま読んでいる本の著者が
その本を、
かつてどんな気持ちで読んだか、
著者をもっと深く知るには、
たった一行しか触れられていないけれど、
読む必要があるのではないか。
いや、
きっとある。
それを読めば、
彼の核心に触れられるかもしれない。
そんなような心持ちになり、
パソコンに向かい、
ポチっと「買う」を押してしまうことに。
いまは買うの簡単ですから。
このようにして、
本はますます増えてしまいます。
・透かし視るいのちの秋やカメレオン 野衾
・秋の風つぎつぎに来る雀かな
細かいことですが。
本を読んでいて、
気になるところに付箋を貼ります。
16ミリのものをだいたいふだん使っていますが、
文庫本の場合、
これだとひじょうに都合が悪い。
左右の余白が11~12ミリのものが多く、
ページぎりぎりに貼っても、
端の一行にかかってしまいます。
16ミリの付箋を
ハサミで切って使ったりもしていましたが、
きれいに8ミリ幅で切ることは至難の技。
ということで、
このたび
幅6ミリの付箋を大量に買いました。
これで、
16ミリの付箋を真ん中から切り始めたのに、
切り終わった反対の端が8.5ミリと7.5ミリになっていて
イラっとすることもなくなるでしょう。
よーし貼るぞー!
てか。
・家人固まる公園の蛇穴に入る 野衾
・房総の大漁の兆し鰯雲
「君子の交りは淡きこと水の若く、小人の交りは甘きこと醴の若し」
『荘子』「山木篇」にでてくる言葉。
醴(れい)は甘酒。
たとえばこういう言葉、
若いときは、
はー、で、へー、
おら、君子でねーし、
冷やかし半分で
眺めていたような気がしますが、
齢を重ねてくると、
昔とはまた違ったふうに
感じられます。
言わずもがなのことながら、
君子に近づいたわけでは
もちろんありません。
ますます遠ざかっているでしょうけれど、
そんなことよりも、
「淡きこと水の若く」
が
いよいよ身に迫ってきます。
淡きことを嫌い、
むしろ濃く、強く、激しく、
を念じ、
ひとを傷つけ、
ひとに傷つけられても来た半生。
遅ればせながらの反省。
君子には
なれなくても、
これからの人との交わりの
教訓にしたいと思います。
・我在りて目覚めし上の秋風鈴 野衾
・病み上がりとりあえず行く秋を見に
三連休の初日、
快晴というわけにはいきませんでしたが、
雨はなく、
今だとばかりに
家人と近くの児童遊園へ。
三十分ほどで着きますから、
散歩にはもってこい。
広々としていて、
ほどよく整備し過ぎず、
人も多くなく、
池あり、木々あり、ベンチあり。
鳥、虫、獣、
若冲さんも喜びそう。
体調がすぐれなかった時も、
けっこう通って
気を晴らしたものでした。
帰途、
大きな青大将に遭遇。
わたしが指差すと、
家人固まる。
そばにいた老人、
声を聞きつけはせ参じ、
孫に蛇を見せようとするも、
孫はおじいちゃんの股にくっ付き、
後ろから恐る恐る。
山口誓子の句に、
「全長のさだまりて蛇すすむなり」
があります。
・秋の日や行き場なくして雨宿り 野衾