編集者の仕事

 

いまネットで調べてみて分かったのですが、もう十三年も前のことでした。
場所は、東京駅丸の内南口そばの丸善。
そこで、
林望さんの『謹訳 源氏物語』を手にとりました。
アッとなったのは、
どのページも無理なく水平まで開いたから。
そうか、
こういう装丁があるのか
と、
そのときはじめて知りましたが、
伊藤博さんの『萬葉集釋注』を読み、
とくに大伴家持さんの仕事をつらつら連想しているうちに、
歌が記された木簡の一枚一枚が、
紙の一枚一枚とも想え、
それを結わえて出来上がる本は、
『謹訳 源氏物語』で知ったコデックス装にもっともちかく感じられ、
このごろは、
内容にかんがみ、
ものによってコデックス装を採用しています。

 

万葉集四百五十年の歴史は、家持の一首によって終焉する。
万葉集編纂の上に、家持が関わっている事は万葉集の含む諸問題の検討を、
一つずつ重ねる度に、
確かさをましてくる事柄でもある。
万葉集全ニ十巻の内、
古撰の巻たる巻一・二の大半、
大宰府の筆録による巻五、
歌集を集めた巻九、
作者未詳の巻七・十・十一・十二・十三、
東歌の巻十四、
二群より成る巻十五、
由縁ある歌を集めた巻十六という十二巻を除いた残り八巻は、
家持の資料に大半を依っているといえる。
巻十七以下の四巻は
その歌日記たる事無論であるが、
巻三・四・六・八も家持の資料によって家持が編集した事は確実である。
先に除外した十二巻も、
家持の手を経ているとしたら、
現万葉集の最終的色彩は家持によって塗り上げられている
のであって、
家持的和歌観がすべてを蔽っている
といってさしつかえない。
極端な云い方をすれば、
このような家持的和歌の中に、古代和歌が埋まって散在する
といってもよいのである。
(中西進『万葉集の比較文学的研究』南雲堂桜楓社、1963年、p.425)

 

「万葉集の最終的色彩」「家持によって塗り上げられ」「家持的和歌観」、
ここに、
編集者の仕事の要諦「集め、選び、並べて結わえる」
が端的に表現されていると思います。
装丁にかんする実際の仕事は装丁家がやりますが、
装丁をふくめた本全体のコンセプトと構成、
そのディレクションは編集者の仕事。
なので、
編集者がちがえば、
中身が同じでも本としては違ったものになる、
いや、
同じ中身が違った本になり、
中身までちがって見える
といったほうがいいかもしれません。
そのことを行い、
後世に伝えてくれたのが大伴家持さん、
ということになりそうです。

 

・半ズボンの少年と独りの海  野衾