気を晴らすために歌は詠む

 

以前、伊藤博さんの『萬葉集釋注』をおもしろく読み、
それがきっかけとなり、
学校で習ったこととは別に、
こんどはじぶんの興味から『古今和歌集』『新古今和歌集』
と詠み継いできましたが、
「令和」の名づけ親とも称される中西進さんの
若い頃の仕事『万葉集の比較文学的研究』を見つけ、
読み始めたら、
これがすこぶるおもしろく、
とくに、
歌を詠むこと、そのこころについて、
大伴家持さんがどんなふうに考えていたのか
の説明が、
いまのわたしにはとても納得のゆくものです。

 

以上題材の面で考えられる家持の傾向は、かかる歴史的位置にあったと思われる
のであるが、
第三としてその作歌態度が注目される。
即ち、
右の七夕歌の題詞にもあった「独り」という語は、
天平十六年四月五日の歌には「独り平城の故宅に居て作れる歌」(17三九一六題詞)
とあり、
この孤独感は、
青年家持に逸早く訪れているのだが、
それが和歌と結び合う関係を示すものとして、ここで注意したいのは、
次の題詞である。

 

橙橘初めて咲き、霍公鳥翻り嚶く。この時候に対して、詎ぞ志を暢べざらむ。
因りて三首の短歌を作りて欝結の緒を散らすのみ。
(17三九一一題詞)

 

これは天平十三年四月三日、
書持に報え贈った歌であり、初夏の到来についてのものであるが、
時候の変化によって「詎ぞ志を暢べざらむ」という態度は、
歌と自然との完全な結合を示しているのである。
かつ、
ここには短歌を作る事によって「欝結の緒を散らす」
といわれている。
これは後に

 

悽惆の情、歌に非ずは撥ひ難きのみ。仍りて此の歌を作りて式って締緒を展ぶ
(19四二九二左注)

 

と述べる家持の態度を既に現わすもので、
家持の歌にかかわる根本態度というべきものであろう。
そしてこの詩歌観は、
他ならぬ中国の詩歌観である。
古今集の序にも「歌にのみぞ心をなぐさめける」とあるが、
それは古来詩品の序を粉本としたものである事がいわれ、
その詩品序には

 

凡そ斯く種々に心霊を感蕩するは、詩を陳ぶるに非ずんば何を以って其の義を展べん。
長歌に非ずんば何を以って其の情を聘うかがはん。
故に曰く、
詩は以って群なるべく、以って怨むべしと。
窮賤をして安きに易へ、幽居して悶なからしむるに詩より尚きはなし。
故に詞人作者の愛好せざるなし。

 

とある。
この考えは全く家持の考えと等しいものであり、
殊に家持が「欝緒」「悽惆之意」「締緒」という言葉を用いるのは、
詩品の「窮賤」「幽居」という表現と明らかに関係があろう。
歌人家持にあっては、
それが歌学的体形化をとるという事はなかったが、
印象的・感想的には極めてこの詩歌観は共感を呼んだであろう。
詩品にしても文心雕竜にしても、
六朝詩学は必ずや天平人に読まれたに違いない書籍である。
(中西進『万葉集の比較文学的研究』南雲堂桜楓社、1963年、pp.454-5)

 

ここに歌の、詩の、ことばの根本義が示されており、
たとえばシモーヌ・ヴェイユの
「労働者に必要なものは、パンでもバターでもなく美であり、詩である」
というテーゼとも、
遠くひびき合っているように思います。
また、
ここでいう和歌や短歌とはちがいますけれど、
たとえば、
ある思いから歌うことをやめた歌手が、
数年を経て、
ふたたび歌の世界にもどって来、
のびのび晴れやかに歌う姿を目の当たりにすると、
いろいろ思いはあると思います
が、
歌が好きで、
歌わずにはいられない、
いわば人間の業といってもいいような、
歌うことの本質を示しているような気がし、
ふかく納得します。
ひるがえって、
家持さんの歌のこころに触れ、
家持さんがいっそう身近に感じられてきます。

 

・目を開けてただぼんやりの夏休み  野衾