立秋やベランダの草揺れており
友人から夜中にメールが来た。何だろうと思って見ると、風邪をひいたらしい。さっそく返信は、風邪っぴきダブルでだるき熱帯夜、と送った。そうしたらまたメールが来て、まあ、そんなところです、とあった。わたしは悪い癖で調子に乗り、夏風邪や熱競い合う熱帯夜、とさらに送った。すると今度は返信が来ない。気分を害したかと心配になり、夏風邪やだるさを忘るかき氷、と送った。もう、うんともすんともなかった。呆れて眠ってしまったのだろう。
草白く名は知らねども輝けリ
アゲハ蝶迷えるかごと舞っており
向日葵の坂を曲つた先の海
秋田のわたしの実家は仲台というところにある。海抜どれぐらいの土地なのか調べたことはないが、名前からして高台であることは間違いない。そこからさらに奥山に向かって1時間も歩くと、ニホンカモシカや熊がよく出る大台というところに着く。大台出身の子供たちはみな長距離走が得意で、運動会がある度いつも上位の成績を収めた。
大台の子供たちほどではないが、小学校時代わたしも毎日長い坂を上り下りした。どんなに高熱が出ても、伝染病に罹っても、親は学校を休ませてくれなかった。だから、休みたいと思ったことはない。学校は行かなければならなかった。
くねくね曲った長い坂道を六年間歩いたことになる。低学年の頃は上級生の先導のもと、ニ列になって登校した。帰りは友達と歩いたり、急に用を足したくなって脂汗を流しながら家路を急いだこともある。足裏から伝わる坂の傾斜はわたしの記憶の形を作った。
高校を卒業し秋田を出てから十回ほど引越したが、どういうわけか高台が多い。家に着くには坂を上らなければならない。
横須賀に就職が決まり、引越しを手伝った父は、よりによってこんな不便なところに家を借りる馬鹿があるかと怒った。そこからは猿島からはみ出すほど巨大な米空母が見えた。
気功を始めてから半年が過ぎた。裸足でも靴を履いても足裏がぴたりと地に張り付く感覚がある。足首がゆるみ、膝、腰がしなう。頭で思い出そうとしなくても、いろいろなことが思い出されてくる。味によらず、匂いによらず、足裏の記憶とでも言えようか。それを言葉にしようとするとき、あるシーンとなって浮んでくる。二音、三音の組み合わせによる五と七の音と言葉は、それを留めるのに相応しい気がする。新鮮で面白くも感じられる。俳句みたいな俳句でないものをここに載せているのはそういう訳です。
いつかちゃんとした俳句になってくれればと願っているけれど、急ぐ必要はない。今は、足裏の感覚と初源の言葉の結び付きを、味わい、確かめるだけで十分だ。
喧嘩して肩に重たきランドセル
熱き砂たたずむは誰ぞ四十年
燃えており叔母さんの胸ホタル狩り
ウペンドラの「A」を観た日に二十年前のインド旅行が不意によみがえる。
無灯にて闇夜を滑る襤褸タクシー
コールタール夜を司るゲッコかな
こは猿やにゅっと現るインド人
ブッダガヤ尻拭く指を挟みけり
サリー映ゆ祈り深かり鹿野苑
妹が姉は後から物もらい
ユアワイフ?エスマイワイフ逃れ旅
*ゲッコはヤモリのこと。
たのんでいた『岩田幸助写真集 秋田 昭和三十年前後』(無明舎)が届く。
中を開くと、なつかしい風景が眼に飛びこんできた。わたしが生まれた年のもある。あんな時代に、米を作らずに写真を撮って歩いていた人がいたとは。木村伊兵衛もそうだが、田植えをしていた村の衆は不思議に思ったことだろう。
径一寸長さニ尺が出て来り
驟雨点点ベランダ黒く染めにけり
花火より浴衣はだけて縄の内
夏草の匂い恋しき少年期
昨日1日の起承転結。
ようやく梅雨が明けました。朝から蝉がミ〜ンミンミンミンジ〜。見〜ん見ん見ん見ん字〜? はたまた、眠〜ん眠眠眠爺〜
足裏が いきていきする これが気か
季語ねーし。ま、いっか。
カメラマンの橋本さん来社。橋本さんとなると、なんだか気持ちが沸き立ち、あれこれ近頃の趣味趣向、興味のありどころを矢継ぎ早に話すことになる。橋本さんも同じ。お互い、いっぱいしゃべって、重なるところは少ない。でも、いい。橋本さんとなら、ただたのしい。
橋本さんは稀代のカメラマンだが、独特の句をものする俳人でもある。
ツバメの子 親呑みこんで 口を閉ず は、金子兜太から絶賛された。シャッター音が聞こえてきそうな句。