ジョイスとユング

 

・木蓮や恥ずかしげ無し大胆に

リチャード・エルマンの
『ジェイムズ・ジョイス伝』を読んでいると、
二十世紀を揺るがせた錚々たる人物たちが、
まるで隣りの隠居が
裏通りから現れるような仕方で
ひょいと登場するが、
精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユングの場合もまた然り。
ユングはジョイスの主著『ユリシーズ』を
さほどの作品とは思っていなかったようだが、
その主なる理由は、
何が書いてあるのか、
理解が及ばなかったことにあったようで、
ユングは後にジョイス宛の、
さすがと思わせる手紙を書いている。
そのなかにこうある。
「この本についてなんとか分かるようになるまで三年間考えました。
……………………………………
私がどんなに退屈し、どんなに愚痴をこぼし、罵り、
またどんなに感心したか、それを世間に言わざるをえなかったからです。
最後の終止符なしの四十頁は、正真正銘見事な心理学の連続です。
女の心理について悪魔の祖母ならいざ知らず、
私はこれだけのことを知りませんでした。」
この手紙をもらい受け、
ジョイスは自作に関する、
心理学的洞察への賛辞を自慢げにひけらかしたらしい。
自伝の白眉『ユング自伝』を書いたユングが、
これほど絶賛したことにも驚くが、
落語の落ちかよと思わせられるのは、
ユングから絶賛された夫に関してのジョイス夫人ノラの発言。
「あの人は女性のことなんて何にも分かっていない」
世界の文学史に燦然と輝く『ユリシーズ』を、
ノラはだいたい読んでいなかったようなのだ。

・夢うつつ炎のごとき白木蓮  野衾